2ntブログ

■ フリースペース ■

フリースペースです。
好きな事をご自由に書いて利用してください。

尚、不要な場合は「HTML編集」の<!-- フリースペースここから -->~<!-- フリースペースここまで --> を削除してください。
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
新潮文庫のブライアン・フリーマントルのチャーリー・マフィンシリーズ。どこの本屋に行ってもこのシリーズが売り切れで、書店から取り寄せるのも面倒くさかったので、読みたいまま読めずにいたら、アマゾンの中古で安く買うことが出来た。
読んだ感想は、前回ほどの面白さはやや薄れた感じがした。
特にあまり良い印象を持たなかったのは、第2作目の「再び消されかけた男」では、前回から引き続き登場し続けている重要なキャラクターの何人かが死んでしまう事だった。
特にチャーリーの奥さんのイーディスが悲惨な死に方をしてしまうのは、読んでいてちょっとつらかった。
あそこでイーディスが死ななければ、その後のストーリーが盛り上がらなかったのだろうか?!決してそんな事は無いと思うのだけれど。。。。。
しかし、そこはやはり小説、その作品自体にとって著者は創造主、所謂“神”なのだから、読者がいろいろ思ってみても仕方ない。そのまま受け入れるしかないのだから。
たしか前作にも登場したモスクワ在住のCIA職員のブレイりーは2にも登場したけど、チャーリーの仕掛けた爆弾で偶然死んでしまったが、その後もブレイリーはこのシリーズに登場したら面白いキャラクターになったと思うのだけれど・・・
それにベレンコフやカレーニンも全くと言ってよい程、チャーリーには直接絡んでこずに、何の為に今回所々ちょっとだけ登場させているのか、あまり意味が無いと思った。
今回ベレンコフとカレーニンは英米の諜報組織に対する、ロシア側の心情の代弁者というだけの役割のようだった。

そんなわけで第1作が120点の面白さなら、この第2作は80点くらいの面白さだと個人的には思う。
ただチャーリーのキャラクターが自分は好きだし、まだまだたくさんあるシリーズの作品の中にはきっと面白いものもあるだろうから、今後もこのシリーズを読んでいきたい。

最近ツタヤで借りてきて観た映画はゴッドファーザーの2。今まですでに何度も観ているけれど、今回自分が注目して観ていた部分は、part1でクレメンザの部下だったロッコ・ランポーネとアル・ネッリ。この二人に注目して観直してみると、また面白かった。
今まで気付かなかったちょっとしたシーンでの彼らの演技がまた実に興味深くて面白い。

ただゴッドファーザー2で残念な点というのは、これは1と2と観比べて、さらに2でのマイケルの苦悩・懊悩を見れば明らかな事だが、マーロン・ブランド(若者の時はロバート・デニーロ)演じるゴッドファーザー“ヴィト・コルレオーネ”程のリーダーシップと包容力、器の大きさがアル・パチーノ演じる2代目ゴッドーファーザー“マイケル・コルレオーネ”には無かった・・・という点である。
ヴィト・コルレオーネがゴッドファーザーなら、マイケルの実の兄のフレドが許し難い裏切りをした所でおそらく許しただろうし(少なくともどう考えても、殺しはしなかっただろう)第一組織の“ファミリー”ではなく、本当の家族の間から、あのような形で裏切りは決して出さなかっただろうと思う。

ロバート・デ・ニーロが演じている若者の頃のヴィト・コルレオーネの貫禄は、若くしてドンになった後のマイケル・コルレオーネよりもはるかにあるし(この点がpart2でデニーロが主演のアル・パチーノの演技を食ってしまったと言われる所以だろう)マイケルよりもはるかに男女問わず、人に好かれそうな雰囲気があるし(笑)
だいたいゴッド・ファーザーになった後のマイケルは、敵対する存在に対しては身内が引いてしまうくらい容赦がないし、徹底している。直近の部下からも「そこまでしなくても・・・」と言われてしまうくらい。

ストレスと苦悩からか疑心暗鬼になってしまい、裏切り行為をした兄のフレドに対しては、本人が謝っても許さず、妹のコニーが仲介してさえ許さずに殺してしまうし、自宅にいる時に襲撃された際にロッコが裏切ったのでは??という不確かな容疑だけで、ほとんど自殺行為としか思えない様な、空港でのハイマン・ロスの暗殺を命じてしまう(結果、当然の様にロスを射殺した後のロッコもFBIに射殺されてしまう。ロッコはファミリーの幹部なのにである)

それにペンタンジェリを自殺に追い込む様に説得させる為にトムを自宅に呼び出す際にも、実の兄弟同然として育ったトムに対してさえ、「ファミリーから距離を置こうとしているのではないか?」と疑いの目を向ける。
もうこの辺のドン“マイケル・コルレオーネ”の精神状態は滅茶苦茶な状態なのが分かる。
そういえばその前のシーンでも、母親に「父さんはどうだった?家族に対してとか、もっと強かったよね?」と苦悩を打ち明けるシーンがある。このシーンのアル・パチーノの演技は素晴らしいと思った。

監督のコッポラはおそらく父親であるヴィト・コルレオーネと後に2代目のドンとなるマイケル・コルレオーネの人となりを対比させて描きたかったのだろう。だからマイケルが苦悩するのも、疑心暗鬼になって人の命が失われることが度重なってしまうのも、最後の最後でのあのシーンを観れば、全てはコッポラの意図通り・・・だということが明白だ。

自分が今回、ロッコとネリに注目していたのは、果たして自宅を襲撃された際に、マイケルの身内であるロッコが手引きしたようなシーンやロッコの演技、またはそう思わせるシーンが新たに発見出来るか?だったのだけれど、冷静に観直してもどうもロッコは手引きしていないように思える。
マイケルが自宅のボートハウスでコニーの仲介で兄のフレドと仲直りしたように“見せかけて”抱擁するシーンで、背中越しに右腕のアル・ネッリに目配せするシーン。
ここでネリが「やっぱり殺すのか?」とかすかに驚き、仕方なくドンの命令に頷くシーンはとても良かった。

そしてやっぱりこの映画の白眉はネリとフレドがボートで湖上に釣りに出かけたシーン。フレドがマリア様にお祈りの言葉を呟く中、後ろからネリがフレドを銃殺する。カメラはボートハウスでソファに腰掛けるマイケルを遠目に移し、銃声が鳴り響くと同時に思わずマイケルが立ち上がる。
その銃声は実の兄のフレドを自身が殺してしまった事を証明する銃声。

そこからマイケルが大学生時代、実家に帰省したシーンに移る。入隊した事を罵るソニーと心配するトム。しかしその中でただ一人「お前は偉いよ」とマイケルを褒めるフレド。
その回想シーンが終わると、たそがれの中、湖畔のベンチに呆然と座るマイケルが映されエンドロールに入る。

何度観てもゴッドファーザーpart1&2は面白く感動する映画だと思う。まだゴッドファーザーpart3は、今だかつて一度も観ていないので是非借りてきて観てみようと思った。

 | BLOG TOP |