最近、バーなどに行っても最初の1杯からウィスキーをストレートで飲んだりしないようになった。それだけ身体に気を使って飲むように心がけている。
そのせいでこの頃滅多に前の日に飲んだお酒が翌日に残るといった事がなくなった。
今日まで一昨日から3日連続で飲んでいるけれど、飲んだお酒は日本酒と焼酎・ビールだけ。2軒目のはしごもしなくなった。
日本酒は20歳前後の寿司職人だった頃は、同じ職場の同い年の職人だった友人と二人で、休みの前の晩には一晩で3升以上も飲んだ。もちろん日本酒飲む前にビールやら焼酎やら飲んでの話だから、相当無茶な飲み方をしていたと思う。
若さ故に無茶な飲み方をしていただけであって、自分の限界以上だと分かっていても相手から杯に酒を注がれれば意地でも飲まないわけにはいかないのである。若い時にはそういう変なツッパリ方をするのが若者なのだから仕方ない。
そんな飲み方をして二日酔いにならないわけがなく、必ず休日には地獄を見て1日部屋で寝ているだけで終わってしまう事が多かった。
一緒に飲んだ友人と、二日酔いの日にバイクに二人乗りしていたら、凄まじい嘔吐感がやってきて、バイクの後ろのシートに座ったまま走りながらゲ○した事もある(食事中の方にはスイマセン)
銀座の店で働いていた時は、仕事後に居酒屋でしこたま日本酒を飲んでひどく泥酔し、家にどうやって帰ろうとしたのか当然覚えていないのだけれど、池袋近くの千川に帰るはずが、朝目覚めたら渋谷駅のトイレの床の上だった・・・という痛恨の思い出もある。
そういう馬鹿やっていた時代を経て、年取ると共に常軌を逸した飲み方をしなくなった。
そんなわけでこの頃は注意して飲んでいるから、風邪のせいで体調は悪いけれど、内臓の調子は悪くない。
大泉学園で一人暮らしをしていた将棋の師匠は成人男性であるにもかかわらず、重度のアルコール中毒で内臓と歯がボロボロになっており、驚くべき事に体重が40キロすら無かった。たしか30キロ台後半だったとはずである。
何故体重まで知っているかというと、師匠は一度駅の階段から転げ落ちて左腕の前腕を骨折してしまい、病院に入院した際に測った体重を自分が覚えているのである。もちろん医者もその体重にも、あまりにガリガリに痩せている身体にも驚いていた。
背は170cmくらいだったから、服を着ていてもその外見はひょろひょろだった。
昼過ぎから師匠の部屋で将棋を指していて、居酒屋が開く時間になると家の前の線路を渡って大泉学園のささやかな繁華街の方へ行くのだが、時たま強い風がビュー!!と吹いてくると、大袈裟ではなく本当に身体がよろよろっ・・・とふらついてしまうので、身体を支えてあげなければダメだった。
あまりにも痩せすぎていて身体に肉が付いていないので、足の脛など皮膚がぴったりと張り付いた骨が形が分るほど浮き出ていた。
小説家の太宰治は自分の作品の中で「アルコール中毒になり、日本酒や焼酎を1日中飲んだ挙句に内蔵がボロボロになって栄養失調になり、歯もボロボロになってきた」と書いている。
自分の師匠がまさにそれだった。
成人男性の体重がその身長(170cmほど)で30キロ台後半というのは、実際に当人を見てみると驚くほどガリガリに痩せている。おそらくほとんどの人はそんな身体をした成人男子など見た事は無いと思う。
歯がボロボロになると柔らかい食べ物しか食べられなくなる。
自分が働いていた寿司屋に来た時も師匠は「昔は烏賊が大好物だったのに、今は歯が悪くて食べられない。残念だなぁ」と言いながら柔らかいウニをツマミにしつつ、日本酒を飲んでいた。
自分もお酒が好きだけれど、自分の身近にこういう反面教師的な人がいたので、流石にこうはならない様に気をつけている。
やはりお酒も煙草も程ほどにしておかないとマズイ。自分は煙草は高校時代にすっぱりと止めてしまったので、今では全く吸いたいと思わない。
しかしお酒に関しては「もう酒止めよう」と思った事は無いので、今でも飲み続けている。
昔の中国の詩人にはお酒が好きな人が多い。中でも有名な李白は詩仙(詩の仙人)と呼ばれていたが、同時に“酒仙”とも呼ばれていて、酔った際の有名な逸話がたくさんある。
自分は李白の“月下獨酌”という漢詩が好きだ。
漢詩と言うと字面だけでさも難しいようなイメージを持っている人が多いが、韻文を基本とした決まりの中で、いかにリズム良く言葉を組み合わせて上手に気持ちを表現するか・・・というだけ。
慣れてしまうとまったく難しくない。と、言うより形が決っているのでむしろ簡単だ。
漢字ばかりの詩だから、とっつきにくいイメージを持っている人が多いのが残念である。
この月下獨酌という漢詩だって、タイトルは“1人で月見酒”という意味だし、内容も難しくない。
書かれている事は「酔っ払いが1人で月を見ながら、ほろ酔い気分でお酒を飲んでいる。酔っていてとても気持ちが良いな。。。」というだけ。シンプルな内容だ。
詩の中に「自分が(酔って)歌うと、月が空の中でふわふわ踊りだす」という部分が特に好きだ。現代で考えたら新宿や新橋の繁華街で飲みすぎて酔って千鳥足でふらふら歩いているサラリーマンの様ではないか。
もちろん月がふわふわしているのじゃなく、酔っぱらいながら歌っている李白本人がフラフラしているのでそう見える・・・という事は言うまでも無い。
漢詩の内容といったって、こんな感じからも分るように内容は風流なもの、面白いもの様々で全然堅苦しく無い。
李白の詩は“漢詩の名人”と言われた人が作った物だから、表現の仕方や言葉選びがすごく洒落ていつつ、しかもユーモアもある。
よく酒飲みが人から、「あまり飲みすぎるな」だとか「休肝日を作れ」などとたしなめられた際の言い訳の定番中の定番“酒は百薬の長”などいう言葉も古代中国の歴史書「漢書(かんじょ)」が出典元だ。
こんな事書いていると飲みたくなってしまう。でも仕事中だから今は我慢。コーヒーにグラッパを入れる程度にしておこう。
さぁ、仕事が終わったら今夜もバーに清吉さんと一緒に行こう。