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最近、バーなどに行っても最初の1杯からウィスキーをストレートで飲んだりしないようになった。それだけ身体に気を使って飲むように心がけている。
そのせいでこの頃滅多に前の日に飲んだお酒が翌日に残るといった事がなくなった。
今日まで一昨日から3日連続で飲んでいるけれど、飲んだお酒は日本酒と焼酎・ビールだけ。2軒目のはしごもしなくなった。

日本酒は20歳前後の寿司職人だった頃は、同じ職場の同い年の職人だった友人と二人で、休みの前の晩には一晩で3升以上も飲んだ。もちろん日本酒飲む前にビールやら焼酎やら飲んでの話だから、相当無茶な飲み方をしていたと思う。
若さ故に無茶な飲み方をしていただけであって、自分の限界以上だと分かっていても相手から杯に酒を注がれれば意地でも飲まないわけにはいかないのである。若い時にはそういう変なツッパリ方をするのが若者なのだから仕方ない。

そんな飲み方をして二日酔いにならないわけがなく、必ず休日には地獄を見て1日部屋で寝ているだけで終わってしまう事が多かった。
一緒に飲んだ友人と、二日酔いの日にバイクに二人乗りしていたら、凄まじい嘔吐感がやってきて、バイクの後ろのシートに座ったまま走りながらゲ○した事もある(食事中の方にはスイマセン)
銀座の店で働いていた時は、仕事後に居酒屋でしこたま日本酒を飲んでひどく泥酔し、家にどうやって帰ろうとしたのか当然覚えていないのだけれど、池袋近くの千川に帰るはずが、朝目覚めたら渋谷駅のトイレの床の上だった・・・という痛恨の思い出もある。
そういう馬鹿やっていた時代を経て、年取ると共に常軌を逸した飲み方をしなくなった。
そんなわけでこの頃は注意して飲んでいるから、風邪のせいで体調は悪いけれど、内臓の調子は悪くない。

大泉学園で一人暮らしをしていた将棋の師匠は成人男性であるにもかかわらず、重度のアルコール中毒で内臓と歯がボロボロになっており、驚くべき事に体重が40キロすら無かった。たしか30キロ台後半だったとはずである。
何故体重まで知っているかというと、師匠は一度駅の階段から転げ落ちて左腕の前腕を骨折してしまい、病院に入院した際に測った体重を自分が覚えているのである。もちろん医者もその体重にも、あまりにガリガリに痩せている身体にも驚いていた。
背は170cmくらいだったから、服を着ていてもその外見はひょろひょろだった。
昼過ぎから師匠の部屋で将棋を指していて、居酒屋が開く時間になると家の前の線路を渡って大泉学園のささやかな繁華街の方へ行くのだが、時たま強い風がビュー!!と吹いてくると、大袈裟ではなく本当に身体がよろよろっ・・・とふらついてしまうので、身体を支えてあげなければダメだった。
あまりにも痩せすぎていて身体に肉が付いていないので、足の脛など皮膚がぴったりと張り付いた骨が形が分るほど浮き出ていた。

小説家の太宰治は自分の作品の中で「アルコール中毒になり、日本酒や焼酎を1日中飲んだ挙句に内蔵がボロボロになって栄養失調になり、歯もボロボロになってきた」と書いている。
自分の師匠がまさにそれだった。
成人男性の体重がその身長(170cmほど)で30キロ台後半というのは、実際に当人を見てみると驚くほどガリガリに痩せている。おそらくほとんどの人はそんな身体をした成人男子など見た事は無いと思う。

歯がボロボロになると柔らかい食べ物しか食べられなくなる。
自分が働いていた寿司屋に来た時も師匠は「昔は烏賊が大好物だったのに、今は歯が悪くて食べられない。残念だなぁ」と言いながら柔らかいウニをツマミにしつつ、日本酒を飲んでいた。

自分もお酒が好きだけれど、自分の身近にこういう反面教師的な人がいたので、流石にこうはならない様に気をつけている。
やはりお酒も煙草も程ほどにしておかないとマズイ。自分は煙草は高校時代にすっぱりと止めてしまったので、今では全く吸いたいと思わない。
しかしお酒に関しては「もう酒止めよう」と思った事は無いので、今でも飲み続けている。

昔の中国の詩人にはお酒が好きな人が多い。中でも有名な李白は詩仙(詩の仙人)と呼ばれていたが、同時に“酒仙”とも呼ばれていて、酔った際の有名な逸話がたくさんある。
自分は李白の“月下獨酌”という漢詩が好きだ。
漢詩と言うと字面だけでさも難しいようなイメージを持っている人が多いが、韻文を基本とした決まりの中で、いかにリズム良く言葉を組み合わせて上手に気持ちを表現するか・・・というだけ。
慣れてしまうとまったく難しくない。と、言うより形が決っているのでむしろ簡単だ。
漢字ばかりの詩だから、とっつきにくいイメージを持っている人が多いのが残念である。

この月下獨酌という漢詩だって、タイトルは“1人で月見酒”という意味だし、内容も難しくない。
書かれている事は「酔っ払いが1人で月を見ながら、ほろ酔い気分でお酒を飲んでいる。酔っていてとても気持ちが良いな。。。」というだけ。シンプルな内容だ。

詩の中に「自分が(酔って)歌うと、月が空の中でふわふわ踊りだす」という部分が特に好きだ。現代で考えたら新宿や新橋の繁華街で飲みすぎて酔って千鳥足でふらふら歩いているサラリーマンの様ではないか。
もちろん月がふわふわしているのじゃなく、酔っぱらいながら歌っている李白本人がフラフラしているのでそう見える・・・という事は言うまでも無い。

漢詩の内容といったって、こんな感じからも分るように内容は風流なもの、面白いもの様々で全然堅苦しく無い。

李白の詩は“漢詩の名人”と言われた人が作った物だから、表現の仕方や言葉選びがすごく洒落ていつつ、しかもユーモアもある。
よく酒飲みが人から、「あまり飲みすぎるな」だとか「休肝日を作れ」などとたしなめられた際の言い訳の定番中の定番“酒は百薬の長”などいう言葉も古代中国の歴史書「漢書(かんじょ)」が出典元だ。

こんな事書いていると飲みたくなってしまう。でも仕事中だから今は我慢。コーヒーにグラッパを入れる程度にしておこう。
さぁ、仕事が終わったら今夜もバーに清吉さんと一緒に行こう。

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先週の水曜日辺りからずっと雨が続いていたけど、土曜日の昼近くになって急に晴れたので良かった。土曜日も朝のうちは雨が降っていたけれど。

昨日は仕事が終わった後に清吉さんと一緒に馴染みのバーに行った。つい最近まで同僚の清吉さんは胃の調子が悪く、食欲もあまり無い上に当然のごとく酒飲んでも不味かったようだ。
誰しも経験があることだが、体調が悪い時の酒の味はちっとも美味しく感じられない。
それが胃の調子がこの頃戻ったらしく、戻ったとたんに暴飲暴食している。
昨日も歌舞伎町にある米新という弁当屋でステーキと唐揚げのミックス弁当を食べていた。胃腸の病み上がりに食べる様な弁当ではないと思った。

ところで昨日のお店の賄いは“白菜とチキンのホワイトソース煮”だったのだけれど、その賄いを弁当を食べたたった2時間後に「もうお腹が空きました」と言って食べようとしていた。
「胃の調子が戻ったばかりなのに、そんなにばバカバカ飯食って大丈夫なのか?」と聞いたら「なんだかすぐにお腹が減っちゃうんです」と言っていた。
流石に彼の食欲にまかせて食べさせていたら、また体調を壊すだろうと思ったので「じゃあ仕事が終わってからにしろよ」と言っておいた。
結局仕事が終わってから清吉さんは大盛りご飯と、その賄いのおかずを食べて、それから二人でよく行くバーに行った。

バーでは自分はウィスキーベースのカクテルを、清吉さんはまだ酒は度数の弱い物しか胃が受け付けないということでクロンダイク・クーラーを頼んでいた。
このクロンダイク・クーラーというカクテルはお酒が弱い人でも、オレンジジュースとジンジャーエールのおかげで口当たりがとても良く飲みやすいカクテルだ。ウィスキーは45~50ミリリットル入るけど、ジンジャーエールで最後に割るからアルコールも薄まって胃にも優しい。

似た名前のカクテルにクロンダイク・ハイボールというのがあるけど、こっちはドライベルモットとスイートベルモットを同割り入れて、レモンジュースで風味をつけて最後はやはりジンジャーエールで割るカクテル。
二人で飲食店の専門雑誌などをバーのカウンターで読んだり、バーテンダーと話したりしながらゆっくりと飲んだ。
清吉さんはクロンダイク・クーラーを飲んだ後は、生ビールを飲んでいた。自分はドライ・マティーニを飲み、最後にシングルモルトのロングモーンを飲んでそのバーを出た。

この馴染みの店のバーテンダーは当ブログを読んでくれているので、写真でご登場願おうかと思って昨夜はデジカメを持っていったのだが、カウンターに他のお客がいたので撮影するのは断念した。
しかし、いずれカウンターに自分達しか客がいない時に撮影してブログにUPしようと、昨日はあらためて強く思った。
雰囲気の良いバーだし、新宿には意外と数少ないオーセンティックなバーだ。

BGM:http://www.youtube.com/watch?v=oR-BmQMWcck&feature=related

この頃全然カラオケに行ってない。このキャロル・キングの“oh no not my baby”という曲はキャロル・キングがマキシ・ブラウンという黒人の女性歌手に提供した曲で、これはセルフ・カバー。
この曲が自分はとても好きだ。今度カラオケに行く機会があったら歌おう♪

行きつけのバーで何かの拍子に「今度築地に行くので、場内で買い物したらコハダの酢〆と白焼き用に穴子を捌いて持ってきます」と言ってあったので、年末に清吉さんと一緒に出かけてきた。
年末の築地は一般人の買い物客で有り得ないほどごった返していた。中卸では普段は売っていないようなお正月向けの商品が売られていた。
普段ならプロ向けに鮮魚しか扱っていないようなお店ですら、そういう状態だったので、ちょっとこの時期に来たのを後悔した。
築地全体で品薄状態だった。その割りに正月用の蒲鉾とか数の子みたいな物はどの店でも売られている。自分はまったくそういう物は買う気が無かった。

あるお店でコハダを1キロ買った。九州の天草産のコハダだった。
穴子を買おうと思って探し回ったけれど、どこのお店でも売られていない。中卸の人に聞いたら「12月28日以降は築地全体に入荷が無い状況だよ」と言われてしまった。
仕方ないので代わりに何か買っていこうと思って場内をグルグル歩いていると、ある中卸の店先で珍しい魚を見つけた。

その店は一般客向けの蒲鉾や数の子を扱っておらず、この時期、数少ない入荷された鮮魚を扱っているお店だった。
大きな魚は築地では台の上に並べられず、発泡スチロールの箱の中に氷に埋まった状態で店先に出される。魚が温まらないように氷を身体全体にかけられ、魚の顔だけが見えている。
自分は「おや?!変わった魚が売られているな・・・」と足を止めて眺めていたら、店先にいた中卸の2人の年配のオジサンが声をかけてきた。
どうやら自分が眺めているのが、その珍しい魚の隣にあった平目だと思ったらしく「どう?!寒ビラメ買って行かない?脂が乗っていて最高だよ」と言われた。
平目はたしかにこの時期もっとも美味しいのだが、お金を出せばどの中卸でも買えるし珍しい物でもない。
黙って首を横に振ると、自分が見ているのはどうやらその隣のグロテスクな魚の方だと気づいた様だった。

「ヒゲダラ買って行く?!鍋にすると最高だよ。河豚より旨いよ」と話しかけてきた。
自分が先ほどからずっと見ていたのはそのヒゲダラだった。正式名称は“ヨロイイタチウオ”大きなものになればなるほど美味であり、かつ稀少で値段も高くなる、あまり一般には流通していない高級魚だ。
「この大きさだと結構高いよな」と逡巡したのも束の間。久々にヒゲダラのチリ鍋が食べたかったので買う事にした。
年配のオジサン二人は、料理屋の仕入れの人間くらいしか買っていかないヒゲダラが売れた事が嬉しかったのか、ニコニコしながら「ヒゲダラは旨ぇからね~」と言いながら紙袋にその大きなヒゲダラを入れて渡してくれた。
翌日は休市日だったので、こんなに一般人の買い物客が多いのではそのヒゲダラは売れ残ってしまうだろう・・・と考えていたのだと思う。

当初の予定とは違ったけれどコハダとヒゲダラを購入して市場を後にした。
事務所につくと清吉さんは営業にそなえて爆睡してしまった。
自分も眠かったけれど、何はともあれこのヒゲダラを捌いておかないと面倒なので眠い目をこすって魚を下ろした。
ヒゲダラは鮮度が良かったのでウロコが取りにくくて大変だった。
最初は包丁の背中でウロコを引いていたのだが、途中から金ダワシでゴシゴシこすって一気にウロコを落とした。
この金ダワシで大きな魚のウロコを落とす方法は、大箱の大衆活魚店で働いていた時に教わったやり方だ。

由緒正しい江戸前寿司の店で厳しい修行をしていた自分は、このやり方を教わった時は目を丸くしたものだった。その活魚屋の社長には「うちの店ではこのやり方でやってくれ。その方が早いから」と言われたのでその通りにしたが、「こんなの一番初めに仕事教わった親方に見られたら、間違いなく怒られるだろうな」と思いながら、やったのを思い出す。
昔ながらのやり方の店では何でも昔ながらのアナログなやり方で仕込みをする。

活けダコの仕込みも荒塩と大根おろしを使って、汗だくになって滑りを落とすのだが、あるお店ではタコを洗濯機に一度に4,5杯も入れて荒塩とタワシ3個ばかり放り込んでスイッチオン!する。
そうすると人間の手を煩わせずにあっという間にタコの滑りが取れてしまう。
アナログも良いけど、後からいろいろ考える人間の知恵もすごい。

ヒゲダラのウロコが取れると、いよいよ包丁で下ろす。身はマダラよりもしっかりとしているが、中骨が途中から三角形になっていて下ろすのが難しい魚だ。
家庭でなら包丁の角度間違えて中骨に身をいっぱい付けてしまっても、中骨ごと包丁でぶつ切りにして鍋に放り込んだら良いので問題ない。「しかし歩留まりの悪い魚だな・・・」と魚を下ろしながら、そう思った。
自分は元プロなのでなるべく中骨に身を付けない様に注意しながら下ろした。中骨もぶつ切りにして、頭も梨割りにした。これでダシを取ろう。

魚を下ろし終わってから毛布に包まって事務所で仮眠した・・・・・

起きてからお店の準備をして、それからコハダを仕込んだ。ウロコを取って頭と内臓を落とし、開いてからザルの上で1時間ほど塩をする。
酢水で塩を洗い流したら、砂糖を少量入れた酢で40分ほど〆る。
ザルに立てかけて酢を切りながら冷蔵庫で一晩寝かせる。
こうするとコハダの身に塩と酢が馴染んで美味しくなる。
ヒゲダラは中骨と割った頭のアラに強塩をして放置した後、湯霜して滑りと汚れをきれいに取る。
掃除したら水にダシ昆布と一緒に入れてアクを取りながらダシを取る。
その日の営業が終わってから清吉さんと一緒にビールを買って鍋にした。
味付けはアラから取ったダシに酒を少量入れただけ。身が煮えたらポン酢で食べる。具はヒゲダラ以外には豆腐と白菜、ネギとシンプル。

久々に食べたヒゲダラの身はやはりマダラとは段違いに美味しかった。大体ヒゲダラは“タラ”という名前は付いているがタラ科の魚ではなくアシロ科の魚である。築地で働く人の間では「河豚より旨い」と言う人も多いくらい。自分も河豚のくせの無い身よりもヒゲダラの味の方が好きだ。
食感はタラチリに入っているマダラの身よりももっと、もっちりと、しっかりとした歯ごたえと言うか食感がある。
是非料理屋で(和食店だけ、しかも冬ですけど)このヒゲダラを使った料理を見かけたら食べてみてほしい。鍋や昆布〆で食べるのが最も美味しくこの魚を食べられると思う。

コハダは翌日ワサビしょう油で日本酒と一緒に食べた。こちらも美味しかった。真冬は何と言っても“マカジキ”が旬だ。
カジキと言っても回転寿司なんかで回っている白っぽい身のメカジキではない。オレンジ色というか橙色の身のマカジキは高級魚で自分の大好物なのだ。今度築地に行ったらマグロの中卸行って、マカジキ買って来ようっと♪
 知り合いのお店(ホテヘル)が店を閉めるという事で、オーナーの事務所に呼ばれて「ローションとか指サックとかその他コスチュームとか使える物があったら持って行ってくんない」と言われていたので、歌舞伎町から大久保のそのホテヘルの事務所まで取りに行ってきた。

オーナーは女性でかつてSMの女王様だったから、部屋に行くとロープやムチやローソクなどが置いてあった。
フェアリーで使えそうなものはローションの原液とローションを希釈する精製水に指サックくらいだった。
他はコスチュームもいっぱいあったけど、なんだか古ぼけていてあんまり綺麗じゃなかったので遠慮しておいた。
でも面白そうだったからムチとロープは貰っておいた。清吉さんがミスをしたら今度はこのロープで縛ってあげよう。
ムチは犬が言う事聞かなかったら、これでお仕置きしようと思って貰っておいた。
実際にはこのムチはSMのプレイで使うムチなので、実はこれで引っ叩いてもあまり痛くない。音だけは派手に出るけど。

もちろん素肌の上からこのムチで引っ叩いたらちょっとは痛いのだろうけど、自分がジーンズの上から太ももの上にかなり強い力でバシッ!!と叩きつけても、ほとんど痛くなかった。

柴犬なんて毛が剛毛だし皮膚も厚いからちっともお仕置きにならないかもしれないけど、でも面白そうだから一応貰っておく事にする。

ホテヘル長年やってきたその女性オーナーも「風俗はもう疲れた」なんて言っていた。分かるなぁ~その気持ち。かくいう自分も正直、もうほとほとこの仕事には疲れている。でもまだあと数年は精一杯頑張るけど。

大久保の事務所からビニールの袋にローションやコンドーム、指サック、ムチ、SMで奴隷君に使う皮製の首輪(これも一応貰っておいた)なんかを入れた大きな袋を自転車の前のカゴに入れて、あまりの重さにヨロヨロしながら自転車で歌舞伎町に帰ってきた。
間違って通行人の多い路上で袋の中身をぶちまけてしまおうものなら、自分は周囲の通行人からただの“変態君”に見られてしまうから、慎重に運転して帰ってきた。

これでしばらくはローションは買わなくても済みそうである。

ところで自分は歌舞伎町のスポーツクラブに通っている。もっとも目的はサウナと風呂であって、運動はあまりしない・・・というか好きではない。
この頃食べたら食べただけ、飲んだら飲んだだけ太る一方なので運動はしなくちゃいけないのだけれど、運動を激しくやると仕事中に疲れるし眠くなってしょうがないので、仕事に支障の出ない様に運動しない事にしているのである(単に運動が嫌いなだけ)

スポクラでは実に様々な人達を見かける。そういうお前は人の事言えるのか?と言われそうであるが、自分が“う~んこの人はずいぶんと変わっているな・・・”と思う人達は、街中で見かけたら誰が見たって変わっているな・・・と間違いなく思われるであろう位変わっているのだから仕方ない。

まず若い人にはこういう人は少ない。なぜか40代後半〜50代以上の男性に多いのである。どんな風に変わっているか?と言うと、たとえば着ている洋服のファッションがまず普通じゃない。

服を着る際にすごく派手な色彩のアイテムを着用するなら、例えばシャツだけ、とかズボンだけ・・・とか1点だけ取り入れるならまだ分かる。それならうまく取り入れたらお洒落に見えるだろう。
しかし自分がスポーツクラブでよく見かける、派手派手な服装のおじさんはそうじゃない。
全身これ上から下まで原色系のカラフル過ぎるアイテムでパンツからシャツからアウターまで全部揃えているのである。
不思議に思うのだけれど「こういう服って一体どこで売っているんだろう??」と思ってしまう。

例えばシャツなどは実にカラフルである。赤でもピンクでも暗めの色合いではなくて、蛍光色のド派手なパステルカラーなのだから。
そしてシャツがこういう具合なので、次に目線を下に移して腰から下を見てみると、ズボンもシャツとは色違いで見るも鮮やかなショッキングピンクなのである。この人はこの格好で新宿の街を歩いて帰っていくのか・・・とちょっと驚いてしまう。

あとスポクラには会員が割安で利用できるタンニングマシーン(日焼けマシーン)がある。
その日焼けマシーンを一体どれくらい長く利用したら、こんな色になるのか想像もつかないのだけれど、やはり50代頭の男性会員で、有り得ないほど真っ黒に日焼けしている人をいつも見かける。
さらにその髪は金髪である。肌は小麦色に焼けている・・・なんてもんじゃなく、焦げすぎたトーストみたいに真っ黒だ。
AV男優やホストでもこんなに黒く肌を焼きこんでいる人は見たことが無い。

そしてこの男性はいつもすご~くお肌の手入れに時間をかけている。自分がミストサウナと風呂を利用する為に更衣室を出て行く時に、ドレッシングルームで腰にタオル1枚巻いて熱心に全身に日焼け後に塗るローションや化粧水をベタベタ叩きつけているのだが、サウナと風呂を利用し終わってまたそのドレッシングルームを通り過ぎる時でも、まだ今度は足の裏を何かの器具でペタペタ叩きながら何やらお手入れをしているのである。
一体ドレッシングルームでいい歳こいたオッサンが素っ裸にバスタオル1枚で何十分お肌のお手入れしてるんだよ?!どんだけぇ~・・・ってな感じである。

まぁこんな次第で歳取ると、あまり周りの人の目が気にならなくなるから各々自分が本当に好きな格好をするようになるのかもしれない。
ある意味、人目を気にしなくなった事で本当に自分が好きなお洒落を楽しんでいるのかも・・・たとえ周りがどういう目で見ようとも。それはそれで立派な姿勢なのかもしれない。

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皆様こんにちわ修治でございます。年が明けてからやろうと思いつつ、またしてもクイズの問題を考えあぐねて実施できなかった『ブログのクイズに答えて大幅割引ゲット!!』の企画でございます。

今回のクイズのお題は“アニメ・絵本”です。アニメといっても日本のアニメではありません。日本のアニメはまともに中学生の頃以来観ていないので分からない・・・というのが正直なところです。
ただ外国のクレイアニメ(粘土アニメの類)などは大人になってからもちょくちょく見る機会はありました。もっともツタヤなどでDVDを借りてまで観る程ではありませんけれど。

しかし日本のアニメと違って大人が見ても結構観れてしまうのが海外の粘土アニメなどの特徴でございますね・・・・・
なにしろぬいぐるみや粘土で作ったキャラクターが活き活きと動くのですから、しかもそういった粘土のキャラクターやぬいぐるみのキャラクターの表情まで豊かに変化するので、観ていて飽きません。つい見入ってしまいます。
海外の絵本も絵の書き方や色の使い方が明らかに日本人が書いた作品とは違って興味深いです。もちろん絵本のキャラクターだけでなく、背景・風景なども当然ですが異国情緒がふんだんに感じられます。

バーなどに入るとお店によっては、カウンターに座るとスクリーンで音を消した昔の映画などを観れるお店もあります。
そんなお店でも時々、映画の合間に海外のクレイアニメなどを流している店がありますが、一人で静かに飲みたい時でも海外のクレイアニメの類は、音が聞こえなくても動きを見ているだけでつい見入ってしまうので暇つぶしになります。
日本のテレビ局ではNHKの番組や深夜の時間帯に流れているのを見た事があります。
そういうお店でもカウンターの横にでも大人が読める絵本などを置いてくれたりすると良いかもしれません。
酒を飲みながら、ぼぉ〜っとそういう絵本を眺めたりするのもきっと楽しいと思うのですが。
だって普通なら、大人になってから週刊誌や雑誌・小説などは読む機会があっても、なかなか絵本を読む機会は無いと思うからです。

今回のブログを書いたのがよいきっかけになったので、今度大人が読んでも楽しめるような絵本をフェアリーの事務所にも置こうかと思いました(笑)

さて、ではクイズの本題に入りたいと思います。
下に書いてある作品の数々は海外の粘土アニメだったり、ぬいぐるみを使ったアニメ、そして絵本です。それぞれ違う国の有名な作品なのですが、クイズの問題はそれぞれの作品がどの国の作品かお答えいただく問題です。


『 ガスパールとリサ ・ チェブラーシカ ・ ウォーレスとグルーミット ・ ピングー ・タルピー 』


いかがでしょう?!おそらく皆様もよくご存知の作品もおありではないかと思います。あと作品名は知らずとも絵やキャラクターを見れば「あ、見た事ある!」という作品もあるのではないでしょうか?!

今回のブログのクイズ割引の期限はUPしたのが遅かったので2月の末まで有効でございます。

☆☆☆1月版ブログの『クイズに答えて大幅割引ゲット!!』の企画 海外のクレイアニメ・絵本の国当てクイズ☆☆☆

下に書いてある作品の数々は海外の粘土アニメだったり、ぬいぐるみを使ったアニメ、そして絵本です。それぞれ違う国の有名な作品なのですが、クイズの問題はそれぞれの作品がどの国の作品かお答えいただく問題です。


『 ガスパールとリサ ・ チェブラーシカ ・ ウォーレスとグルーミット ・ ピングー ・タルピー 』

※よろしいでしょうか?!それぞれのアニメ・絵本の作品が『それぞれどの国の作品か?』というのがクイズでございますので、ご注意下さいませ。


★★★正解者の方はもれなく★★★
 
 80分コース16000円→13000円!!(3000円引き
100分コース20000円→17000円!!(3000円引き
130分コース25000円→21000円!!(4000円引き


大変お得な上に正解も簡単!是非ご利用くださいませ。
皆様1回限りのご利用となりますので、是非トライしてください。





師範代の弟さんの方とHさんの乱取りはHさんの勝利で終わった。
自分たちの稽古の手を休めて観戦していた道場の皆は口には出さなかったけれど、「Hさん強くなったなぁ」と素直に感心しているようだった。
こういったところが武道・格闘技をやっている人間の良い所だ。いくら道場の鼻つまみ者であっても、強ければその瞬間は素直に賞賛されるのだから。

道場の先生を横目で見ると、弟さんが負けてしまった事をとても残念がっているようだった。
師範代の弟さんも、Hさんも元々同じ道場の人間なのだからどちらが勝ったとしても、道場主としてはお互いを賞賛するべきなのだろうけど、やはりHさんが他の道場で普段稽古しているのが気に入らないのだろうか。
あるいは、自分の道場の師範代が負けた事を単純に残念がっていたのかもしれない。

師範代のお兄さんは、乱取りの間も弟さんとHさんの闘いぶりをじっと黙って見ていただけだった。
師範代のお兄さんにとっては、Hさんも同じ中・高校の柔道部の後輩だから、二人が戦っている間もどちらかを勝たせたい・・・
という気持ちはなかったように見えた。
もっとも普段から口数少なく落ち着いた感じの人だったから、あまり感情を表に出さないだけかもしれない。

自分は普段の稽古の時に、一番よく相手をしてもらったのは師範代の弟さんの方だった。もちろんいつも投げられて負けるのであるが、稽古を積んでいくうちにたまには結構良い勝負が出来るようになっていったのも事実である。
ところが弟さんと自分が稽古をして、そこそこ良い勝負が出来ると、決まってその後にお兄さんの方から
「じゃあ、ちょっとやろうか」と声がかかるのである。
弟さんとの乱取りの後、スタミナが回復するまで休ませてもらってから、お兄さんに稽古をつけてもらうのだが、師範代のお兄さんだけには、いつ挑戦してもまるで子供扱いされて歯が立たなかった。

ここでちょっと話が横道にそれるが、自分が当時通っていた高校は私立高校でスポーツが大変強い学校だった。
全国大会で優勝・準優勝を何度かしている野球・ラグビー・サッカー部の他に柔道部も大変強く、顧問の先生は現役のオリンピックの強化選手だった。
高校の体育授業で柔道の時間に、自分はその高校の柔道部の部員ではなかったが、中学時代から柔道を続けていてそこそこ強かったので、その顧問に目を付けられ柔道部の生徒とよく乱取りをさせられた。
私立高校だったので、スポーツ推薦で入学してくる生徒と受験勉強をして入ってくる生徒との間ではあまりにも両者の間の体力差が酷かったからである(笑)
当時はかなり有名な進学校だったので受験入学組はHR終了後の掃除の時間も、サボって図書館で勉強している様なガリ勉君が多かった。

笑える話だが、一度学校にフランスの有名なパントマイム・アーティストの『マルセル・マルソー』が来て公演をしてくれた事がある。
おそらく学校側は彼に大金を払った事であろう。それなのに授業後にホールに集まった生徒の数は全生徒というには程遠かった。
皆マルセル・マルソーのパントマイムを見るよりも、図書館にこもって勉強をする方を選んだからである。これには流石に学校側もご立腹だったのだけれど、普段から進学第一、有名大学に入る事を最優先に指導しているのは学校側だから振り上げたこぶしをどこに下ろしたら良いのか、おそらく戸惑った事であろう。

そんな受験組で入学した生徒の中では、中学の頃、陸上部と柔道部だったせいで人一倍体力のあった自分は、体育教師に面白がられて、よく柔道部の生徒と乱取りをやらされる羽目になっていた。
柔道部の人間はスポーツ推薦で入学してくる柔道エリートだったから、乱取りをすれば自分がいつも負けるのだが、はっきり言ってそういう柔道一筋の柔道部の生徒よりその町道場の師範代のお兄さんの方がはるかに強いと思った。
高校には大学の柔道部に進んだ柔道部OBなんかも稽古をつけに来ており、その人達とも乱取りをさせられたのだが、大学柔道の重量級の選手の身体つきはまるでプロレスラーの様にたくましく、組んだ時の力も凄かった。しかし、そういう人達よりも、師範代のお兄さんはさらに強く感じた。

もう20年以上も昔から、柔道が強い高校や大学柔道の選手は、当たり前の様に近代的なウェイトトレーニングを練習に取り入れている。
世界の柔道の流れも力の強い体力のある選手が勝つ傾向が昔からもう当たり前のようになっている。
日本の柔道家がロシア・ヨーロッパの選手に力で圧倒されて負けていく姿を、自分は中学生の頃からずっと見てきた。
高校は私立だったので、実績のある部活動の設備やサポートには学校側も力を入れていた。
学食の柔道部の生徒が集まって食事をするコーナーには、いつも備え付けのプロテインパウダーやビタミン剤などが置かれていたし、柔道場の横にはウェイトトレーニングの設備も揃っていた。
柔道の強い高校・大学の選手は若いうちに体力をつけるトレーニングをしっかりやらされる。同じ体力で同じ背格好の選手になかなか掛からない技であっても、体格差や体力差があれば簡単に技がかけられるのだから。

そういう近代的なトレーニングをしている選手達に比べると、その時すでに社会人だった師範代のお兄さんの身体つきは、勿論鍛えられた上半身をしていたが、組んだ状態で力で圧倒するような柔道ではなかった。
大学柔道の重量級の選手との乱取りの様に、力で引きつけられて何も出来ない・・・といった感じではなく、こちらにも割と簡単に組ませてくれるし、組手も好きな所を持たせてくれる。
しかし実際に投げようとして技をかけると投げる動作の途中でかわされてしまったり、足捌きと崩しでいつもこちらが何も出来なくされてしまうのだった。それに自分が技を仕掛けたり、相手の引手を切ったりする瞬間の力はとても強かった。

いつも簡単にやられてばかりいるので、ある時師範代のお兄さんを一泡吹かせようと思い、当時から腕力には自信があったので、強引に力で奥襟と袖を取って引きつけて払い腰で投げようとしたこともあったが、その瞬間強い力で身体を引き離されたり、こちらの引手や釣手を切られたりして、技がかからなかった。
結局その後はいつものように投げられてしまった。

師範代のお兄さんは乱取りの際に、いつもこちらの技を何度も好きなようにかけさせておいてからその全てを受けきったり、交わされたりしてしまう。
その挙句に足技と崩しで崩された後にアッ!と言う間に技をかけられて毎回ふわっと投げられてしまう。
投げられる度にこちらの重心が無くなってしまったかの様にフワリと投げられるので、いつも違和感を感じていた。

師範代のお兄さんにいつも投げらていた自分だったが、畳に勢いよく叩きつけられた・・・という記憶はない。
いつも身体が畳に落ちる寸前にこちらの体重を空中でコントロールされていたからだ。
投げている時に相手に気遣うくらいの技量の差が自分との間にはあったという事だが、自分は同じ道場の生徒たちと乱取りをしてもそんな余裕は無かった。

その師範代のお兄さんが、弟さんと乱取りを1本終わったHさんに「おいH、ちょっと休んだら俺とやろうか」と声をかけた。
Hさんはちょっと緊張した面持ちで“お願いします”と言って、深呼吸をしながら息を整え始めた。道場の皆もまた自分たちの乱取りを始めた。
充分にインターバルを与えてから、師範代のお兄さんが「もう大丈夫か?」と声をかけた。
Hさんも「はい、もう大丈夫です」と言ったので、いよいよお兄さんの乱取りが始まることになった。
Hさんも普段からしっかり稽古を積んでいるので、すでにスタミナや腕の力が回復しているようだった。柔道では乱取りを何本もやったりすると、両腕の筋肉がパンパンに張ってしまい、釣手も引手もまともに握れなくなってしまう。
Hさんは休んだおかげで元気な様子だった。
道場生達はいよいよ師範代のお兄さんがHさんの相手をするという事で、また皆自分たちの稽古の手を休めて道場の壁に沿ってずらりと並んで見物に入ってしまった。
自分と道場主の先生も同様にまた見物することにした。

師範代の弟さんは組む時にやや半身に構えて相手の奥襟を握るのだが、お兄さんはいつでも誰とやっても普通に自然体に正対して組み合う。
Hさんも正面から、また低い姿勢で構えて組み合った。弟さんとやった乱取りの時よりも静かに乱取りが始まった。
お兄さんはしっかり組みながら相手の動きを見ている様だった。
乱取りの様子をしばらく見ているうちに、Hさんの様子がおかしい事に気がついた。

柔道では格上の相手が乱取りの相手をしてくれる際には、稽古をつけてもらう方から積極的に技をかけていかなければいけないのだが、乱取りが始まってもHさんがなかなか技をかけない。というか、Hさんが技をかけられない。
Hさんが返し技を恐れて慎重に乱取りを進めているのかと思ったがそうではなく、お兄さんの組手が厳しくて、Hさんが道着の良い所を持たせてもらえないのだった。
不十分な組手では技を仕掛けられないし、中途半端に仕掛けると途端に返し技をくらってしまう。
焦れたHさんがそれでも不十分な組手から技をかけようとして動こうとすると、その矢先にお兄さんが足捌きと袖と襟のコントロールで技を封じてしまう。

しばらくするとHさんが、お兄さんの組手を嫌がり必死に引手を切ろうとして腕を振るのだが、お兄さんはその引手をしっかり握って離さない。
Hさんが下がる方に身体を進めながら、相手の重心を捌きと左右の組手でコントロールして逃がさないのだ。
そして相手の組手が不完全な状態で、自分だけ充分な組手のまま相手の踵の向こう側に思い切り足を踏み込んで、一見大外刈りの様に見える技をかけた。
技をかけられたHさんの身体が仰け反るように斜め上に上がりながら、空中で大きく1回転して背中から畳に落ちた。
今までに自分が一度も見た事が無い技で、見た瞬間「エッ?!」と思った。

師範代のお兄さんがかけた技は大外刈りの様に見えたけれど、相手の踵の向こうへ踏み込んだ足で相手の足を刈っていないし、釣手と引手の使い方は体落としの様だった。
大外刈りで倒された場合、投げられた相手は床に向かって斜め下に背中から落ちるけれど、斜め上に身体が跳ね上がったりはしない。
投げられた相手の身体が宙で1回転するような技は腰技系に多い。移り腰とか腰車・跳ね腰などであるが、腰技は技をかける際にこちらも半身の大勢になる。
腰に相手を乗せるから腰技であり、相手と正対している状態で相手の身体が後ろ向きに1回転する技は見た事がなかった。
その技の理屈が分かったのはその後しばらくしてからだった。合気道をやっている友人に教わった技の一つからその時師範代のお兄さんがどんな技をかけたのかが分かった。

お兄さんは相手が後ろに引こうとする動きに合わせて、相手の背中側へ深く踏み込みながら技をかけていた。
その際に引手と釣手で重心を斜め上に向けて崩し、相手の重心をほぼゼロの状態にして、自分の太もも裏側に相手の太ももの裏側を乗せて躓かせながら、そのまま相手を釣手で宙へ跳ね上げたのだ。
合気道の入身投げという技の理屈と同じである。

師範代のお兄さんがやっている柔道はスピードとパワー重視の近代柔道とは違い、崩しで相手の重心を極限まで無くして技をかける、という昔ながらの柔道の完成形だと思った。
昔の柔術や合気道系の投げ技の理論を柔道に応用する人はそれまであまり見たことがなかった。
柔道は道着を掴んで組み合って闘うという競技の性質上、力のより強い者が力で相手の技を封印しやすい競技である。
それに自分自身が力に頼る柔道を何年も続けてきていたのである。

自分はそれまで柔道の強い人間というのは中学・高校・大学とずっと柔道をやり続けてきた人間が一番だと思っていた。
町道場で練習している人達は、学生の頃柔道をやっていた人達が社会人になった今も趣味程度で続けているのだろう・・・くらいに考えていた自分は、その町道場にこんなすごい技術を持った人がいる事を知って驚いた。
しかし考えてみれば師範代の兄弟は、幼少時から柔道高段者の父親から徹底して鍛えられており、高校を卒業したあとも働きながらずっと柔道の稽古を続けているので、大学柔道を卒業した後も実業団で柔道を続けている選手たちとキャリア・実力に違いは無いのだろう。

お兄さんに見事に1本取られたHさんだったが、乱取りはそれで終わらずそのまま続けられた。しかし自分の技がかからないまま何も出来ずに見事に投げられてしまってHさんは、緊張の糸が切れてしまったかの様に、その後は次々に色々な技で投げられ続けてしまった。
見た事も無い技で1本取った後に、立て続けに3、4度もHさんを投げまくるお兄さんを見て先生も道場生も自分も驚きのあまり道場内がしん・・・としてしまったまま、ブザーが鳴って乱取りの稽古が終わった。

Hさんは師範代のお兄さんにお辞儀をして稽古が終わり、先生と自分の所へ歩いてきた。
心なしかHさんはガックリとして、元気が無さそうに見えた。他の道場で強化選手と練習してきて、自信が付いていたのに師範代のお兄さんに鼻っ柱をへし折られてしまったからだろう。

道場主の先生はHさんに「またH君もうちの道場で練習したらどうだい?他の道場にたまに出稽古に行くのも構わないけど・・・」と、しょげているHさんに気遣っているようだった。

全ての稽古が終わって、道場の畳を練習生で拭き掃除を終える頃に、毎度の事であるが道場の先生がスポーツドリンクを買ってきてくれ、皆で着替えた後に道場の畳の上に座ってジュースを飲みながら話をするのが常だったが、その時も先生と自分、師範代の兄弟とHさんも加わって皆で話をした。

Hさんもその時には元気を取り戻したようで、師範代の兄弟と自分の仕事の事などの話をしていた。
この3人は中学生の頃から付き合いなので、10年以上もの付き合いなのである。
その道場には高校3年生の秋くらいまで自分は通っていたが、大学受験の勉強もいよいよ忙しくなってきていたので、それきり行かなくなってしまった。
合格した大学に通うために住んでいた横浜の日吉からも引っ越してしまい、それから何度か「道場に顔を出して先生や師範代の兄弟に会いに行きたいな・・・」
と思いながらもそれきりになってしまっている。さすがに先生ももうお亡くなりになっているのではないかと思う。
師範代の兄弟は今なら、きっと50歳前後くらいになっているであろうか・・・

この暑い、暑い夏の時季が来るたびに毎年その綱島での道場で、夏に汗びっしょりになって稽古をした事を想い出す。
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道場の先生が見守る中、久しぶりに顔を出したというその先輩と乱取りをしていると、他の道場生や師範代の兄弟が道場にやってきた。
○○さんを見た道場生の反応は、おや?!という表情をする人と、明らかに顔を合わせるのを避けている人もいたりして様々だった。
自分の印象では○○さんは、やはりあまり道場の人達から歓迎されていないというか、煙たがられているようだった。

先生の話の中で「○○君も稽古の際に相手があまり強くないと普通だけれど、相手が強くてなかなか自分の技が掛からないと、危ない組手をしたり、ムキになって強引に危険な技を仕掛けたりするので困る」と言っていた。多分挨拶もろくにしない人達は○○さんとの稽古中に何かあったのだろうな・・・という印象を受けた。

○○さんは師範代の兄弟を見ると、礼儀正しく自分から挨拶に行っていた。
先生の話だと○○さんと師範代の兄弟は中学・高校と同じ柔道部の先輩後輩の関係という事だった。
師範代の兄弟の弟さんが○○さんと中学・高校の同じ柔道部で同級生。
お兄さんは同じく中学・高校の柔道部の先輩だったらしい。

道場生が練習時間に揃い、いつもの様に準備体操・受身の練習・打ち込み・寝技の軽い稽古・・・と、続いていよいよ乱取りの時間。
○○さんは乱取りの時間を待ち侘びていたようで、まっ先に自分と同級だった師範代の弟さんを指名して乱取りが始まった。

久々に来た○○さんと、師範代の弟さんの乱取りを皆注目していて、気づくと皆自分たちの乱取りを止めて、道場の壁きわにもたれかかって観戦に入るつもりらしかった。
先生はこういう事には慣れているのだろうが、道場で最年少の自分はかなり緊張してしまい、一体どういう乱取りになるのだろうか・・・と、もうほとんど道場での乱取りと言うより、むしろ試合の様相を呈しているその展開をドキドキしながら見ていた。

○○さんの弟さんに対するライバル心というか、絶対に倒してやる・・・という雰囲気が見ていてハッキリと感じた。
○○さんが皆に敬遠されるのは、多分こういう気性からなのだろう・・・と高校生の自分はぼんやりと感じた。
稽古中の、特に乱取りの時の目つきが、普通に話している時と全然違うのである。
普通にしゃべっている時を知らなかったら、「ちょっとこの人アブナイ人なんじゃなかろうか?!」と思ってしまう様な異様な雰囲気なので。

師範代の弟さんが、お兄さん以外に稽古で負けるは見た事がないし、他の道場生と乱取りをしていても、いつも余裕で相手の技をかわして、綺麗に相手から1本を取っているところしか、自分は見た事がなかった。
それが○○さんと乱取りが始まる前から、弟さんは軽く緊張しているようだった。
先生に聞くと、試合形式で道場で弟さんと○○さんがやり合うと、今までは弟さんが3勝で、○○さんがかろうじて1勝しているとの事だった。
しかし○○さんが、他の道場で国際試合の強化選手なんかと稽古をしているのは弟さんの耳にも入っていたようなので、以前より明らかに強くなっているだろうと考えて、緊張しているのが明らかだった。

弟さんの得意技は右組手で奥襟を叩いて、綺麗に崩して内股をかける。ほぼ内股1本で自分も何度投げられた事か分からない。
弟さんは誰と組んだ時でも力んでいないし、実際に自分が組んでも腕には必要な時しか必要以上に力を入れずにふんわりと組んでくる。
そして崩しが上手くて、自分が思いっきり腕の力で突っ張ったり、手前に引いても、姿勢が崩れない。

上半身の筋力に頼りがちな柔道をする自分は、乱取りしながら「もっと腕から力を抜いて楽に組むように」と師範代のお兄さんと弟さんに、いつも指導されていた。
柔道で姿勢が崩れないようにするには、強い背筋力と首の力が必要だけれど、弟さんの上半身は綺麗に筋肉が発達していて細身だったけれど必要な部分の筋肉はしっかりついていた。
そして肌が元々地黒なのだろう、浅黒い肌に細身ながら筋肉がきれいについていて、顔は優しそうな顔つきのハンサム。今でいう“イケメン”だった。
実際に性格も優しくて、自分に対する指導も優しかった。
自分はお兄さんの師範代の方がちょっと怖かった。

○○さんはずんぐりとした体型で普段から力仕事をしているうえに、柔道の稽古でも鍛えているので、弟さんよりも上半身の筋肉が凄かった。
外見は日焼けしたガッチリとした体格で、角張った輪郭の顔にパンチパーマ&口ひげで、見た目はまるでヤ○ザにしか見えなかった。

乱取りが始まると、弟さんはいつものように右の奥襟を握って構えた。○○さんは釣手と引手を握って自然体に組むのだが、自分とやった時のようにやや低い体勢。
立ち上がりはお互いに様子を見て静かだったけれど、一方が技をかけて相手が防ぐと、急にそこから試合が激しくなってきた。
弟さんが最初に足技で崩そうとして次に内股をかけたら、それを○○さんが防いで、身体の戻り際に足を片足タックルのように取りにいった辺りから、動きが激しくなってきた。

弟さんは、今まで道場で自分が見た事が無いほど顔を真っ赤にして必死に攻めつつ、相手の技も必死に防いでいた。
先生は「○○君は、自分の技がかからないと、いきなり強引に危ない技をかけてくる」と言っていたので、なかなかお互いに有効なポイントが無いので、そういう展開になるのかな?!と先生も自分も見ていてそう思った。

弟さんはいつもなら上半身の筋肉はやや脱力気味に組むのに、○○さんとの試合では、普段なら見られないほど上半身に力が入っていた。
○○さんの技を堪えるのに、そうとう上半身の筋力を使う必要があるみたいだった。

○○さんの技は、まともに自然体から出す技は足技と体落としくらいで、あとの技は相手の技の戻り際にかける返し技だったり、低い構えからの足取り、アマレスの外無双のような変則的な技ばかりだった。
低い姿勢で闘い続けるので、相当足腰とスタミナが強そうだった。

お互いの技をかけつつ、相手のしかけてくる技をしのぎ、お互いに熱戦のまま試合が後半に差し掛かろうかという辺りで、○○さんが今までよりもさらに低い構えから、弟さんの身体の横について斜め下に引き崩してから、相手が上半身を起こそうとする動きに合わせて、ぱっと片手を道場の床につき、片手は相手の襟を握ったままで両足で弟さんの両膝の辺を挟んで後ろにねじり倒そうという動きを瞬間的にした。
見ていた道場生も先生も、自分も「あっ!!」と声にならない叫びを口の中であげた。
今は講道館柔道でも禁止技になっている“カニ挟み”という技だったが、自分が高校生の当時はまだ禁止技になっていなかった。
だけど型稽古以外の乱取りという実践の場でお目にかかるのは、自分もこれが初めてだった。

当時は柔道家の間でも禁止技になったり、禁止技反対派により、また解禁になったり・・・という技で、元々は江戸・明治時代の柔術の技である。
昔山下泰裕選手が、全日本選手権で遠藤純男選手にカニ挟みをかけられて腓骨を骨折させられている。

カニ挟みという技はタイミングがドンピシャで入れば、相手が“スコン”と後ろに倒れるので怪我をしないが、相手が踏ん張ったりして倒されるのを頑張った場合、両膝を痛めたり靭帯を怪我したり、下手すると腓骨を骨折したりする場合が結構ある。
そういう経緯もあって、今の講道館柔道では“足がらみ”“カワズ掛け”などと同様、カニ挟みは禁止技である。

いきなりのカニ挟みを、咄嗟に弟さんは防いだけれど、見ていても身体が前後にぐらついてかなり危なかった。
○○さんは、その技が掛からないとみるや、すぐに相手の襟を掴んだ手で上体を引き起こして起き上がり、間髪入れずにももう一度、前よりもすごいスピードでカニ挟みを仕掛けた。
1秒間も無いほど瞬間的に、グッと弟さんの身体が後ろに倒されるのを堪えたように見えた瞬間、両足の踏ん張りが耐え切れずにドウッ!と弟さんの身体が真後ろに倒れた。見事に1本だった。
(さらに続く・・・)
この前ホムペの新着情報にも書いたのだが、学生時代、夏場の暑い時期に自分は柔道の町道場に通っていて、練習中に脱水症状を起こしてぶっ倒れたことがある。

高校生の頃、神奈川の綱島にある柔道と空手・剣道を教えている町道場に、柔道の稽古の日に通っていた。
柔道は中学生の頃、陸上部だったのを柔道部にスカウトされてからずっと続けていた。
途中、高校受験で忙しくなり、いったん中断していたのだが、高校に入ってまた始めたのだった。
ちなみに高校ではなぜかスポーツ系の部に所属せずに、将棋部に所属していた。

高校の将棋部にはプロ棋士の養成機関、奨励会に入っている先輩が2人いて、部のレベルは結構高かった。
実際、神奈川県の高校生大会の団体戦で、湘南高校と慶應義塾付属日吉高校を倒して優勝した事もあった。
元奨励会員の二人の先輩も卒業した後、一人は慶応大学に進み、そこで大学将棋の学生名人になった。もう一人の元奨励会の先輩は東工大に進み、やはりそこで学生名人になり、その先輩は後にアマチュア名人にもなった。

その頃、自分は学校にろくすっぽ行きもせず、溝の口にある将棋道場で昼間から手合い係のバイトなんかしていたりした。
昼間の将棋道場には老人しか来ない。手合いをつけたり、お客さんが少ないと、お客相手に将棋を指したりするのが自分の仕事だった。
時給は500円と大変安かったけど、楽ちんな仕事なうえに将棋を指してお金が貰えるのだから好条件だった。

そうして昼間将棋道場のバイトをやり、学校の授業が終わった頃のHRにだけ顔を出して、学校を休んだことにならないようにだけしていた。担任の教師は「また遅刻か」と毎日呆れていたけれど、自分に対しては半ばあきらめ顔だった。
HRを終えると、今度は学校の将棋部に顔を出すのだけれど、そんな生活も続くと運動不足になるので、その綱島にある柔道場に通うことにしたのである。

道場の先生は、整骨院をやっている65,6歳のおじいさんだったが、入門したその日のうちに、いきなり「じゃあ、修治さん、ちょっと手合わせしてみましょうか?」と言われたので、驚いた。
「はぁ〜マジで言ってんのかこのジイさん?若い頃にはそりゃ強かったんだろうけど、今は見るからにお年を召して弱そうだけど。怪我させちゃったらマズイなぁ・・・」なんて思ったけど、辞退するわけにもいかず柔道着に着替えて乱取りを始めることにした。ちゃんと手加減するつもりで。

しかし・・・・・実際に組み合ってみたら、年齢と外見からは信じられないくらい握力と腕力が強くて、びっくりした。
崩そうとしても畳に足が張り付いたみたいで全然動かない。
ただ当時自分も腕力は高校生でありながら、大学生と腕相撲しても負けないくらい強かったので、力で強引に崩して投げにいった。

強引に背筋力と腕力で手前に引き崩して、最初に体落としをかけて、耐えられたので、そこから内股の連続技をかけて(年寄りを相手にガチになって)投げにいった。
17才で体重が90キロもある高校生が、60キロ前後の還暦過ぎの老人をである(苦笑)
しかしそうしなければいけないくらいその先生が強かったので。
巻き込んだような形になって、一緒に畳に倒れ込んで、審判がいれば1本。
しかし先生は倒れた際に足を傷めたようで、すぐに起き上がってこないので心配した。
しばらくして足をさすりながら起き上がり「なかなか強いですね」と言ってくれたけど、自分は先生の足の方が心配だった。

そんな事があって、その道場に入門したのであるが、次の稽古日からは20代前半〜30代後半の強い練習生ばかりで、最年少の高校生の自分は稽古にいく度に皆にしごかれた。まぁ勝ったり負けたりといった感じで。
夏場には道場で稽古中に脱水症状を起こしてぶっ倒れた事もある。
なにしろ夕方とはいえ、夏場に道場で稽古をみっちりやると、柔道着がバケツで水をぶっかけられたように汗をすって重たくなるのだ。練習の前と後では体重が3キロ以上も違ったりした。

道場で一番強い練習生、というかその道場の師範代だったのだが、その人は父親が神奈川県警の柔道の先生をやっている2人兄弟だった。

この二人の先輩はとても強かった。そして自分に対してもとても厳しく、そして丁寧に稽古をつけてくれた。
この兄弟の師範代二人には、何をやってもフワフワいなされてしまい、技がかからなかった。
そして気づいたら、こちらの身体がフワリ・・・と宙を舞っている。
一度だけ弟さんの方を投げることが出来そうになった事があったけれど、お兄さんの方は弟さんに輪をかけて強く、全くこちらが相手にならなかった。
1回の乱取りで3,4回は投げられてしまうのである。

しかも自分のような力任せの柔道ではなく、あっちこっちに崩されて気づくとふわっと投げられてしまうのである。

この道場には、入門した時から先生に「一人○○さんという、たまにしか来ない練習生がいるけど、その人がいる時はあまりその人相手に練習しない方が良いと思う。使う技が危ないので怪我をするかもしれないから。ただその○○さんも師範代の兄弟のお兄さんの方にだけは全然勝てないのだけど」と言われた事がある。

その綱島の道場は、曜日によって剣道・空手・柔道の稽古の日が違うのだけれど、ある時その○○という練習生は空手の稽古に来ている練習生と喧嘩になり、道場で稽古という名目で双方合意の上で喧嘩をして、大怪我をさせているという事で、先生曰く「気性も荒いし、使う技も危なくて、あまり他の練習生と稽古させたくない」なんて言っていたのだけれど、かえって自分は怖いもの見たさで、その人に会ってみたかったりするのであった。

入門した時にそんな話を聞いたのであるが、それっきりその○○さんといのは、先生の話し通り全然道場に来ないし、存在を忘れかけていた。
しかしある日、いつもの様に道場に一番乗りで行くと、畳の上に今まで見た事のない、土木関係や建設関係の仕事をしている人が着ているようなつなぎの作業服を着て、パンチパーマに口ひげを生やして日焼けした、見るからにガラの悪そうな人が先生と一緒に座り込んで話をしていた。

見た瞬間、「あ、もしかしてこの人が例の○○って人かな・・・」と思ったら、先生からの紹介があってやっぱりそうだった。
見るからにガラが悪いのだが、挨拶すると自分が同じ道場の後輩だからなのであろう、思いがけずに人懐っこい笑顔で挨拶されて、ちょっと戸惑った。
どうやらその○○さんも、久々に古巣の道場で稽古がしたくなって、道場に立ち寄ったのだそうだが、後で聞いたら普段は別の道場でその綱島の道場の練習生よりも強い人達と練習しているとの事だった。
おそらくその道場での稽古で自信がついたので、以前全く歯が立たなかった師範代のお兄さんに挑戦しに来たというのが本当のところだったようだ。

自分の顔を見ると○○さんは「ちょっと練習しようか?」と言ってきたので、先生が心配そうに「おい○○君、この人はまだ高校生で最近入門したばかりなんだから、怪我させるような事しないでくれよ」と小声で言っているのが、こちらにも聞こえた。
○○さんは「大丈夫ですよ」と言い、さっさと道着に着替えてしまい、先生が見ている中乱取りが始まった。

組んでみると力は強そうだったが、うまく脱力して組んでいる感じで、どちらかというと構え自体が変則で低かった。
ヨーロッパの柔道の選手がやるような構えだった。
そうして自分に「普段はどんな風にやっているの?」と聞きながら、技をかけさせて、意外にも優しく「こういう時はこうした方が良いよ」などとアドバイスをしてくれるのだった。
そうして何度か自分に好きなだけ攻めさせておき、もちろんこちらの技は全く掛からないし、その上怖い先輩だと聞かされているので、こちらも腰がやや引けてしまい(要するにビビっていた)そうこうしているうちに、○○さんに技をかけられて、また師範代のお兄さんの方に投げられるように気づいたらふわっと投げられてしまっていた。
感想としては「相当に強いな・・・」と感じた。

そんな事をしているうちに、師範代の兄弟が道場にやってきた。
                  (続く)
今日の夕ご飯の賄いはかき卵スープと、カツオとアボカドのヅケ丼。今すし飯を作るためにご飯を炊いている。

ところで夏の思い出(柔道編)の続きを書いていたら、あまりにも長くなり過ぎてしまい、一旦書くのを中止した。
何故なら細かくディティールを書いていたら、まるで格闘技小説みたいな仕上がりになってしまったからである。
同僚の清吉さんには「リアル餓狼伝ですね」と言われた。
とはいえ、実際に自分の体験を書いているだけだから、ディティールを丁寧に書くと結局“そういう風”になってしまうのである。
困ったもんである。

さて・・・話は急に変わるが、この前お店で自分の友人がフェアリーで遊んでいってくれた。
その友人は身体がとても大きい。身長は178センチで体重はなんと116キロもある。

その友人が当店の小西さんを気に入って指名してくれている。
小西さんは埼玉生まれ・上海育ち!(Dragon Ash の Grateful Days風に)の綺麗な女性で、父親が日本人&母親が韓国とロシアのハーフというハーフ特有の美貌を誇る長身美人さんである。
韓国語・日本語・中国語の3カ国語を話せる。

その小西さんに、友人はベッドに横たわって(もちろん全裸で)マッサージを受けている時にこう言われたそうである。

小西「あなた、大きいですね」

友人「え?!何が??(チ○コの事か?)」

小西「あなたの後頭部が」

友人「・・・・・」

小西さんは、どうやらお世辞というかリップサービスという事をあまり言わない(出来ない??)様である。
この会話も自分はサービス業の人間としてどうかとも思うが、友人は逆にそこを「飾らなくて良い娘だ。生粋の日本人と違ってYESかNOかしかない。」と、いたく気に入ってしまったようで、ずっと指名を続けている。
まぁそんなことが最近ありました。

ではこれからまた晩ご飯作りに戻ります。

柔道編の続き・・・すごく長くなってしまっても良いものだろうか??
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7月版のブログのクイズ割引を考えているうちに、考えつかないうちにもう7月も終わりに近づいてしまいました。
何度か考えてダメで(問題がクイズになっていなくて)「あぁ〜もうマイッタナ・・・」なんて思いながらクールダウン割引という策でしのいで、なんとかこの前ようやくクイズが出来ました。

さて・・・映画が好きな方は多いと思いますが、ご多分に洩れずわたくしも映画が大好きです。
何しろ子供時代テレビの洋画番組で育ったようなものですから。
中学生になって田舎から東京の予備校の夏期講習などに通うようになると、今度は新宿や渋谷にある映画館でよく映画を見るようになりました。
昔に比べると今の映画は、脚本にリアリティーを求めるというか、あまり不自然と思えるようなストーリー展開や、登場人物の心理描写をしません。

やっぱり映画のレビューサイトなどで今は、ごく一般の人達にいろいろ批評されるので、そういった点を懸念しているのでしょう。
一般人のレビューは今では、映画の興行やその後のDVDのレンタル率などに多大な影響を与えてしまうからです。

しかし映画は全体的な流れで観るのも悪くありません。結構古い映画って、あるシーンの中で今ひとつ納得出来ない台詞や登場人物の言動が出てくるのですが、古い映画だからといって映画を撮る監督が、そういったやや矛盾の生じるシーンに無頓着だったとは思えません。あえてそういう所を残しているのではないのでしょうか?!後々で映画を観た観客が「?」と思って観直してくれたりするように。そんな気がします。
もう一度観直すとその理由が分かるものもあるでしょうし、何度観てもそのたびに自分の中での解釈が変化する物もあるでしょう。そういう所も映画の楽しみ方だと、わたくしは思うのでございます。
それにちょっと不自然と思える人物の心理描写も映画の中では、その映画にもよりますがストーリーの流れや演出で、それほど違和感なく観れてしまう時もあるのです。
たしかに見終わったときに「あれ、あのシーンでのあの主人公の行動やセリフは何故なんだろう?」と思うシーンもあったとしても、ラストシーンで盛り上げてそれ程違和感なく最後は感動で終わる。

わたくしが大好きな映画にロバート・レッドフォード主演 ロイ・ヒル監督の『華麗なるヒコーキ野郎』という作品があります。
これなど、脚本や映画の中でのストーリーの展開・人物の心理描写などに観ていて??というシーンが割と多い作品なのですが、ストーリーのリアルさ残酷さ、ロバート・レッドフォードのカッコ良さと最後の最後でのしびれる程カッコ良いエンディングでわたくしにとっては忘れらない名作です。

所謂この映画は『男にしかその良さが分からない映画』の代表的な作品の一つだと、わたくしは思っています。
まぁそういう作品というのは、名作の中にいっぱいありますけど。

偶然にも、上にあげた『華麗なるヒコーキ野郎』という映画作品もそうなのですが、実は今回わたくしが苦労して考えたクイズの問題は、この映画の音楽も担当しているある有名な作曲家に関係するクイズなのです。
古い映画ファンなら知らない人はいない、その作曲家の名前は“ヘンリー・マンシーニ”です。
わたくしのPCのitunesの中にはマンシーニの映画音楽の中でも特に好きな曲が3曲入っています。
「ひまわりのテーマ」と「酒とバラの日々」「ムーン・リバー」です。

今回はこのマンシーニの作った映画音楽と、さらにあるもう一つの要素を絡めてクイズにしました。

☆☆☆7・8月版「クイズに答えて大幅割引ゲット!!」の企画☆☆☆

今回のクイズのお題は高名な映画音楽家“ヘンリー・マンシーニ”と日本でも時代を越えてファンの多い“オードリー・ヘップバーン”の問題です。
まず下に書いた映画のタイトルをご覧くださいませ・・・

■ティファニーで朝食を Breakfast at Tiffany's(1961年)
■酒とバラの日々 Days of Wine and Roses(1962年)
■グレートレース The Great Race(1965年)
■いつも2人で Two for the Road(1967年)
■ひまわり I Girasoli(1970年)
■ガラスの動物園 The Glass Menagerie(1987年)
■シャレード Charade(1963年)

上にあげたタイトルの映画は共通の点があります。それは映画の中で使われている音楽をヘンリー・マンシーニが担当しているという点です。
それぞれが有名な曲なので聞けば実際に知っている・・・という方も多いことでしょう。
肝心な問題は『この中で主演女優にオードリー・ヘップバーンが出演している作品を3つお答えください』という物です。

問題:上に7つあげたマンシーニが映画音楽を担当した作品の中で『オードリー・ヘップバーンが出ている映画の作品名を3つお答えください』
今日は朝からあちこち出かけなければいけず、本日は普段よりも遅めにPCの前に座った。

自分のある友人はこの前禁酒の誓いを立てた翌日に速攻、禁を破って飲酒する・・・というのを、このところ3日連続で続けている。
先週の土曜日に自分と一緒に飲んだ際に禁酒の誓を立てて「絶対に10月までは飲まない」と言った翌日の日曜日にゴールデン街祭りで店を6軒もはしごして普段以上に飲んでしまったらしい。

反省した彼は「今日はこういう催し(ゴールデン街祭り)があったのでつい飲んだけれど、明日から守る」と言い訳をしていたのだが、その翌日月曜日にその友人は歌舞伎町の串揚げ屋でキンミヤ焼酎と一刻者(いっこもん)をベロベロになるまで飲んでいた。

そうして昨日火曜日、その友人が以前からある映画を自分に非常に強く推してくれており、その映画のタイトルを忘れてしまったので聞こうと思って夜に電話をしてみたら、彼はゴールデン街祭りで知り合った女性と、自分の(わたくし修治の)行きつけのバーでデートをしている最中だった。

もちろんその時もシャンパンやカクテルをベロベロになるまで飲んで酔っ払っていた。
彼はゴールデン街祭りで知り合った女性と一緒に別の店で食事をした後、そのバーで飲んでいたのだが、奢るだけ奢らされてそれっきりだったようだ(哀しいねぇ・・・)

そこへ、仕事を終えた自分と同僚の清吉さんが合流して3人で一緒に飲んだのだけれど、当分彼の禁酒の誓いはスタートすらしそうにない。
昨日などはたしか当初はハッキリと“禁酒”と言っていたはずなのに、それが「週一で飲む」に変わっていた。

スタートすらしていないのにいきなり妥協するその姿勢では、週一飲酒のはずが週一だけ休肝日になるのは火を見るより明らかだろう。そんな友人が身近にいる。

また昨日は別の友人がフェアリーの事務所を訪ねてくれた。
その友人は現在魚河岸で働いている。以前の職場は帝国ホテルのフレンチだった。彼はかつてフランス料理のシェフだったのだ。
彼は細やかな気遣いの出来る人間なのだが、まだ魚河岸で働き始めたばかりで、色々な事に戸惑っているようだ。

魚河岸の配送じゃなくて仲卸の店先で売り場に立って、仕入れにくる料理人たちと丁々発止のやり取りをするとなれば、元からの性格が大事である。
つまりおとなしかったり、引っ込み思案な性格ではつとまらないのだが、悪いことに彼はとてもおとなしい性格なのだ。

築地の仲卸では店先に鮮魚以外にも、塩干物といって塩鮭の切り身なんかも売られている。
「場内の鮮魚店で鮭の切り身?」と思われる方もいるだろうが、実はこれが結構よく売れるのである。

まず仕入れに来た料理人達が自分たちの賄い用に買って行く。
最近では一般人も場内市場に買い物に来たりするが、そういう人達も鮮魚1匹では手を出すのに躊躇しても、安価な切り身の塩鮭ならよく買っていくのだ。
もちろん仲卸で働いている人達も自分たちのオカズ用に買っていったりする。

塩鮭の切り身と言ってもスーパーで売られている物とは、質も味もまるで違う。
普通のスーパーなどで売られている物が貧相に見える程切り身が分厚くて色も良く、味も本当に美味しい物なのだ。
自分もフェアリーの賄いで焼いてお店の女の子に出したりしたことがあるが、大変好評だった。

その売り子に慣れていないおとなしい性格の友人が店先に立っていると、仕入れに来た料理人達が小声で彼にだけ聞こえるように言ってくるそうである。
「おい、この鮭の切り身、尻尾の方だけまとめて売ってくれ」などと。
もちろん鮭の切り身には腹・背中・尻尾とあるわけだから、店としてはバランスを考えて売らなければいけない。
つまり尻尾の方だけをまとめて一人のお客に売るわけにはいかないわけだ。

仕入れにくる料理人もそれが分かっているので、店先に同じように立っている社長には聞こえないように、小声で彼に耳打ちしてくるらしいのだが、彼はそんな時「いや、腹・背中・尻尾とバランス良く売らなきゃいけないから尻尾の方だけまとめて売るわけにゃいかないよ。」とハッキリ言えば良いものを、そういう風には言えないようで困っているそうだ(苦笑)

そんな無茶な要求をしてくるお客に対しても、彼は困った様な顔をして小声で「ダメですよ」と言うだけらしい。
いくら小声でやり取りしようとも、そんなやり取りは店先に立っている社長には聞こえていて、後で「もっとハッキリ断らなきゃダメじゃないか!」と怒られるそうだ。
そう言って彼は昨日自分に愚痴をこぼしていた。

彼がその話をする前に「客もタチ悪いのがいるんですよ」なんて言ってくるので、どんな話かと思ったらその程度の話なので、自分は「そんなのは○○君がいけないよ。ハッキリと背中・腹・尻尾と揃えて買っていってくださいよ!と明るくハキハキと言えば良いのに・・・威勢の良さが築地の売り子の持ち味なのにねぇ〜早く慣れなきゃ駄目だよ。」と言っておいた。

全く今のままの彼の性格では売り子はむいてないな・・・と思った次第である。早く慣れてくれれば良いのだけれど。

今回のこのブログで何が言いたいかと言うと・・・特にどうという事でもないのだが、ただ「皆一生懸命やっているなぁ・・・」と思うわけだ。

皆それぞれがその日その日、その瞬間・瞬間を懸命に頑張っているな・・・と思う。
禁酒の誓いを立て続けに破り、メッシー君(死語)になった我が友人も、引っ込み思案な魚河岸で働く友人も、そして自分も清吉さんも傍から見たら道化みたいな事をやりつつその日その日をなんとかかんとかしのいでいるわけだ。

共通しているのは全員が男・男性であるという点。どんなにカッコつけても出る時にはボロが出るのが男だから。

そんな男性が仕事の合間の息抜きに利用する、当店の様な職種で働けて、自分は幸せだと思う時が時々ある。
自分は働く職業を選ぶなら、女性の為よりも世の男性の役に立つ業種・仕事で働きたいわけである。
将来やるだろう飲み屋・飲食店も男性の為に営業する店でありたい。

昔ながらの親父連中がはばを利かせていた飲み屋なども、昨今は女性客の進出がどこでも見られるが、自分がやる店はそういった昔ながらの男性客の為の飲み屋にしたい。
まぁ女性お断りというコンセプトにするつもりもないのだが、だが、内心それに近いものがある事は否定出来ない。
酒場にも色々あるけれど、男性の為の憩いの場にしたいわけである。
そんなお店が都内にもうちょっとあっても良いのではないかと思うのだけれど。
皆様こんにちわ修治です。先週末は木・金・土・日と大勢の会員様、並びにご新規様にご利用いただきまして、まことにありがとうございました。

9月に入って過ごしやすい陽気になってくれたせいでしょうか、8月よりもご新規様のご利用を多くなっているようです。
数あるお店の中から当店をお選びいただきまして、まことにありがとうございます。

お店のHPや現在あるスタンプラリーのカードも近々、色々と改良予定でございます。
今後も当店の会員様にはよりいっそうご利用しやすい様に、新たな楽しみ方も出来るように改良予定がございますので、今後ともよろしくお願い致します。

さて、話は変わりますが、この前お店のある施術者さんと話していて、ちょっと面白いやり取りがありました。
こういうお仕事で働いている女性は、意外に彼氏などがいない女性が多かったりします。
わたくしはもうすでに20年近くこの商売に携わっておりますが、事実そういった女の子は多いのです。
まぁこのお仕事をやっているうちは彼氏を作らない・・・という考えの娘が多いという事です。

この前あるお店の娘とわたくしでそういったプライベートな話になりました。
その施術者さんも例によって彼氏がいないのですが、わたくしが「でも○○さんなら、すぐに彼氏出来るでしょう?!実際に“付き合って”と言われる事だって(プライベートで)あるでしょう?」と言ったら、なにやら複雑な表情でこう言いました。

「こんな私でも昼の職場関係や、女友達の周りの男性から告白される事もあるんですけど、大抵そういう人は私のタイプじゃないんです。」と。
しかしまぁ、こんな事は一般的に普通というか当たり前なんじゃないかとわたくしは思います。

実際にこっちから何も言わないのに自分の好みの女性に告白された・・・なんて経験は一度も無いわたくしですが、大抵の人はそうなんじゃないかと思います。

つまりよほどモテる人でもない限り、意中の人でない異性から告白される場合は、ほぼ100パーセントその相手はタイプじゃない・・・という事なんではないでしょうか?!

だからこちらから告白して成功する場合は、相手が「まぁ仕方ないか」と妥協して付き合い始めるパターンが多いのではないかと思うのですが、いかがでしょう。
これは極論ですが、多かれ少なかれそういった要素が全然無いという事は有り得ないのではないかと思います。

わたくしは職業柄、色々な女性の話を聞ける立場ですが、プライベートの女友達または職場の女性などの恋愛話を聞くと、女性の方からある男性を好きになって、惚れて付き合い始めた場合、あまり長続きしていないケースが多いのでございます。

いえ、まだ付き合い始められたなら、一応は恋愛は成功なので良いのですが、付き合うまでに至らない。
つまり女性がそれとなく、あるいはハッキリと好きな男性に告白しても男性の方から「友達のままでいようよ」と断られているケースの方が、わたくしの知っている限りでは多いのです。

しかもそういった女性は結構美人や可愛い娘が多いのです。

男性は基本的に余程好みじゃない女性でない限りは、女性から好意を示されれば嬉しくないわけはないので、一応は付き合ってみるのでしょうが、付き合っているうちに「なんか違うな・・・」と思って自然消滅するケースが多いのではないかと思います。

わたくしはいつも自然消滅のパターンです。何だかいつの間にか、ただの仲の良い友達に戻ってしまうのでございます。

わたしのケースはどうでも良いのですが、そんなわたくしの周りの女友達はそういった場合、当たり前ですがズーン・・・と暗くなって落ち込んでいます。
そして愚痴が多くなります(苦笑)
わたくしはバーなんかでそういう愚痴を聞かなきゃなりません。

あとこんな例もあります。ある女性がこういったケースはレアなんでしょうけど、両想いの男性と付き合い始めました。
男性はたしか20代後半のとてもハンサムな男性でした。女性もとても綺麗な娘でした。
そして付き合い始めてみたら、そのハンサムな(今はイケメンというのでしょうか)その男性はナヨナヨしたナルシストだったので、男らしい性格の男性が好きなその女性は付き合ってまもなく別れてしまいました。

こんな話が多いので、やっぱり世の中うまくいかないな・・・と思います。

それに引き換え、わたくしが寿司職人だった頃の先輩はその人の奥さんにお互い独身時代に4回も「付き合ってくれ!」と告白して4回ともフラれています。

普通なら1回告白して断られたらガックリして諦めてしまう男性がほとんどだと思います。

わたくしはその話を寿司職人時代によくその先輩から聞いたのですが「俺なんか、昔今の女房に4回告白して4回ともフラれているんだ」と言われた時に、感心するよりも、「この人一体どんな神経しているんだ?“ほとんどビョーキ”なんじゃないか」と思ったのですが、「虚仮の一念岩をも通す」でついに5回目に告白して付き合うことに成功したのです。

そしてわたくしはその先輩の自宅にも遊びに行った事があるのですが、今では奥さんの方が旦那(その先輩)にべったり惚れているのですから、やっぱり分からないのものでございます。

※この先輩の話を想い出す度に、わたくしは高校生の頃漢文の授業で習った“史記”の「管鮑の交わり」の中の一文を思い出すのです。

春秋時代の斉の大夫“管仲夷吾”の話で・・・・・

吾嘗三仕三見逐於君(吾嘗て三たび仕へて三たび君に逐はる)
吾嘗三戦三走(吾嘗て三たび戦ひ三たび走ぐ)

「私は、かつて多くの君主に使えたが、そのたびに君主に首にされた。私はかつて3度戦に出て3度とも敗れて逃げた」という部分である。

その先輩の話を聞くまでは、好きな女性がいたら男性は一に押して、二に押して・・・なんて話を聞くと「そんな事有り得ないでしょ。ふっ(笑)」と思っていたのですが、それからは「有り得るんだ・・・」に変わりました。

史記の中の管仲は最終的には斉国の宰相になりました。わたくしの先輩は3度どころか4回もフラれた後に、まだ諦めずに挑戦して5回目で付き合うことに成功し、さらに結婚した後は奥さんの方がベタ惚れ・・・

やっぱり世の中諦めないことも大事なのだな・・・と実感させられた話でした。
でもまぁわたくしにはこんな事は出来ませんけれど。

くだらない駄文にお付き合い頂きましてありがとうございます。

本日月曜日も皆様のご利用を心よりお待ちしております☆
寒くなってきたせいもあるのか、最近は少し前に引いてしまった風邪がなんだかやたらと長引いている。
長引いている間に風邪の症状も色々と変化してきているのである。

当初は鼻水と身体がダルく感じる程度だったけれど、それから徐々に寒気や頭痛がひどくなってきた。身体の倦怠感も引き始めの頃よりもこの頃はだいぶひどくなってきているので、そろそろ医者に行かなければいけないかもしれない。
日曜日に犬の散歩に出かけた途中、歩道脇の縁石に腰掛けて休んでいたら、もう立ち上がって歩くのが嫌になってしまった。

そんなわけで最近は仕事が終わると事務所でバタンと倒れてしまい、朝まで目が覚めない。相当身体が疲労してしまっているらしい。まぁおかげでぐっすりと眠れてその点だけは良いのだけれど。

最近お店で作った賄いやオヤツなど色々・・・

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画像1・・・煮込みハンバーグ(晩ご飯のオカズ)
画像2・・・メレンゲ入のパンケーキ&アイスクリーム
画像3・・・豚肉と大根の煮物・モヤシとピーマン、ひき肉の炒め物・出汁巻き卵・キャベツの味噌汁
画像4・・・貰い物の秋刀魚で作ったコンフィ(オイル煮)
画像5・・・・秋刀魚が10匹以上あったので、コンフィをたくさん作ることが出来ました。

秋刀魚のコンフィの作り方だが、これは出来立てを今日お店の賄いで出してみたら、食べた施術者さんが「塩焼きよりも美味しい。秋刀魚の料理の中で一番好きかも♪」と言ってくれていたので、簡単なレシピを・・・

材料:秋刀魚・塩・サラダオイルとオリーブオイル・ニンニク・鷹の爪(赤唐辛子)・ネギ・黒胡椒・ローズマリー(フレッシュなら最高です)

作り方
1 秋刀魚のコンフィの作り方は色々な方法がある。秋刀魚の内蔵ごと丸ごと煮てしまうやり方もあるし、今回自分が作ったようにワタをだしてよく水洗いしてから作る方法もある。

今回は秋刀魚の頭としっぽを落として、内蔵を取ってからお腹の中をよく水洗いする。中骨の血合いは割り箸の先などで取りながらよく洗う。
水洗いした秋刀魚を包丁で2等分する。水気を軽く切った状態でバットに並べて、両面にしっかりと塩をする。

2 塩をして20分ほど経ったら、再度水で塩や浸透圧で滲み出てきた水分を洗い流す。一旦ザルに秋刀魚を上げて、よく水切りしておく。
次に深めのバットかボウルに白ワイン(なければ赤ワインでも日本酒でもOK)を入れて秋刀魚をその上に並べて、さらにその上からも白ワインを注ぐ。
秋刀魚の筒切り全体に万遍無くワインが行き渡るようにしておく。
白ワインが充分にかかるように、途中で裏表をひっくり返したり、秋刀魚を並べ替えたりしておく。

3 ワインに15分程度着けたら、秋刀魚をまたザルにあけて水気を切る。
クッキングペーパーなどで秋刀魚を一つずつ丁寧に拭いておく。

次になるべく深めのフライパンか鍋に秋刀魚を並べて、その上からサラダオイルとオリーブオイルを1対1で混ぜたものを、秋刀魚の身がひたひたになるように注ぐ。
そこへ潰したニンニク・赤唐辛子・ローズマリー・黒胡椒・ネギの薄切りを入れて、超弱火でじっくりと30分ほど加熱する。

ここで超弱火にしておかないとコンフィにはなりません。
秋刀魚の皮がパリッとなってしまうようなら火が強すぎです。

コンフィとは低温のオイルで煮る調理方法であり、秋刀魚の揚げ物を作っているわけではないのですから。
そんなわけでコンフィの作り方としては、色々あって、ジプロックよりもビニールが厚い密封出来る袋などに秋刀魚とオイル・各香辛料などを入れて空気を抜き、炊飯器の中にお湯と一緒にその袋を入れて、保温にしながら3,4時間火をじっくりと通すやり方もあります。

このやり方だと失敗がないことでしょう。ただし炊飯器の保温の温度があまりに低すぎてもダメなようですが。
炊飯器の保温の状態が低い・高いなどと設定出来る物だと良いでしょう。

たしかコンフィを作るのに最適な温度は、油の温度が70度前後だったはずです。
フライパンや鍋でガスコンロでいかに弱火で調理しようとしても、オイルの温度を70度前後の一定に保つのは難しいのですが、そこはあまり難しく考えずに作ってしまって構いません。

大体、一般家庭に油の温度を測るセンサーが必ずあるなんて事はないでしょうから。
実際今回もそこらへんは適当に作りました。できうる限りガスの火を弱火にして、時々指を油に突っ込んで温度をたしかめながら・・・
まぁ自分は料理人だったので指先をちょんと油につけて、大体の油の温度がわかるのです。

ガスの火で加熱する場合、なるべく弱火で20分程調理したら、火を止めてそのまま放置してしまうのが上手に作るコツです。
余熱でじんわりと秋刀魚の身に火が通って、美味しいコンフィが作れます。
油はゆっくりと温度が下がるので、ちょうど良い感じで余熱が入るのです。

このコンフィですが、ビンやタッパーなどに入れてオイルを秋刀魚の身が隠れるまで注いでおくと、オイルが空気を遮断するので常温でも1週間以上持ちます。
でもなるべく冷蔵庫で保存するのをお薦めします。

冷蔵庫なら3週間くらい持ちます。もっとも1週間も持たずに食べ終わってしまうことでしょう。

食べ方としては、薄切りのさらし玉ねぎと一緒にレモンを絞って食べたり、ポン酢と大根おろしとでも美味しく食べられます。
あと意外な美味しさなのが、秋刀魚のコンフィのお茶漬けです。

秋刀魚のコンフィの身をほぐして、温かいご飯の上に乗せます。
そこへ昆布茶を小さじ1杯・ワサビ適量・レモン汁をたっぷりとかけます(コンフィにかけてください)そこへ熱いお湯を注げば出来上がりです。
コンフィはオイル煮ですが、このようにして食べるとまったく油っぽさを感じません。お薦めです。

秋刀魚の安い時期に是非一度各ご家庭でコンフィを作ってみてください。
前回の続きを早く書くように・・・と催促されたので、ようやく重い腰をあげて書く事にします。

(前回からの続き)

トラブルメーカーのTさんと厄介者の店長がある日、とうとうぶつかってしまった。
どちらもアクが強く、自己主張の激しいタイプだったので、自分も周りの女性スタッフもいつかはこうなるんじゃないかと思っていたのであるが、店長は早番でTさんは遅番だったので、今までは事無きをえていたのだが・・・・・

店長はお店に在籍しているセラピストを、見た目がいかにも女の子らしくて可愛らしい女性スタッフだけで揃えようとしていたので、大柄でガタイが良く、フロントの男子スタッフとも平気で怒鳴り合いの口喧嘩をするようなTさんは切りたがっていた。
そんな不穏な空気はTさん自身も気づいており、当然ながら面白く思っていなかった。

その店では自分の方が先輩なのに、後から来たやつがなんだ・・・という事らしい。

店長は店長で、そんなTさんと真っ向から話し合ったりするのを極端に恐れていた。こんな次第だから、まさに店長失格なのであった。
そしてアルバイトのセラピストの出勤シフトを入れる際、店長は陰険なことに、Tさんに無断でTさんのシフトを一切入れない・・・という暴挙に出た。
暴挙と書いたが、単純に臆病なだけでTさんが怖かったのである。

Tさんは当然翌週のシフトの相談が来ると思っていたのに日曜日の夜になっても連絡が来ない。おかしいと思ったので店長にメールをしたら、突然来週からシフトを入れなくて良い・・・との返信が返ってきたのである。
これにカンカンに怒ったTさんは、なんと店の営業時間中に、一方的に解雇された今まで働いた職場に乗り込んで「店長と話がしたいから、店長を出せ!」とやったわけである。

そんないきさつは全て事が起こった後に、双方から説明を受けて自分が分かったことであり、事件当日フェアリーの事務所で仕事をしていた自分は、いきなり店長からの携帯電話で「Tさんが店に来て暴れているから助けてください!」と連絡をもらって「はぁ〜?!」と呆れつつも、一体何が起きてるんだ??と思い現場に駆けつけた。

店に行くとフロントには憤懣やるかたないといった表情のTさんがいた。自分が駆けつけると聞いたので、流石にまずいと思ってフロントで怒鳴るのをやめたらしい。
その時はたまたま店内にお客様がいなかったのが幸いだった。
なぜならTさんは以前にも似たような事があったのだが、店内にお客様がいようが、いまいが関係ないのである。

店長はその時店内の一番奥にあるロッカールームに避難していた(情けない・・・)フロントには他の女性スタッフがいるにも関わらず、Tさんが怖くて他のスタッフをほったらかして自分がまっ先に逃げ出したそうである。
しょうがないのでTさんをフェアリーの事務所に連れていき、詳しく話を聞いた。

Tさんの言い分としては店先で怒鳴ったのは悪かったが、あまりに店長の酷く、かつ卑怯なやり方に我慢が出来なかった・・・との事。
一体自分がなんで解雇なのか事情を店長の口からハッキリ聞くまでは納得出来ない・・・と、至極ごもっともな言い分であった。
とりあえずTさんをその日はなだめて帰し、それから事の発端を作った店長を呼び出して話を聞いた・・・というか説教した。

まず、なんで店長職にも関わらず解雇する理由も、事前の告知もせずに、しかもメールで解雇の旨を伝えたのか?!と。
相手も頭に来て当然でしょう・・・と言ったのだが、どうやらこの店長は本当に頭が悪いらしく「でもどこの店だって、解雇する理由なんて特に言わないし、解雇通告だってイキナリですよ」としか言わないのである。

「どこの店もそうだって?!そんなわけねぇだろう・・・」と思ったのだが、話が通じそうにないのでその点を追求するのはあきらめた。
とにかくいくら何を言っても「自分は悪くない」の一点張りだった。
まるで幼稚園児と話しているようだった。
だからいくら説教しても、諭しても全く理解を示さなかった。というか納得していなかった。

まずメールで事前通告もナシに解雇をした事については、最後まで非を認めなかった。彼女いわくそれがエステ業界では“普通”らしい。そんなまさかねぇ〜〜一体誰が信じるというのだろう。
次に、Tさんが店にやってきてその剣幕に恐れをなして、店長という現場の最高責任者であるにも関わらず、フロントのスタッフをほったらかしにして、自分がまっ先に逃げ出したことについても痛烈に批判したのであるが、これについても「あまりにもTさんが怖かったので仕方ないでしょう」との一点張りだった。

まったく子供と話をしているようで、文字通りお話にならなかった。
彼女の感覚には卑怯であるとか、責任感とかいう文字は存在していないようであった。

そんないきさつがあって、Tさんももう気まずくてその店で働く気にもならない・・・ということで、最後の給料をもらって退職していった。

さて・・・ここまで長々と書いてきて、「一体何が衝撃の事実なんだ?どこに嘘のようなホントの話があったのだ??」と、ほとんどの人がお思いになったであろう。

ここまでは実は前フリであって、ここからが話の要なのである。

Tさんが退職していった後、3ヶ月ほどした後のことである。
そのアロママッサージのお店のセラピストさんと歌舞伎町の喫茶店でお茶を飲みながら話をしていたら、ふとしたはずみでTさんの話が出た。
Tさんがそのお店を辞めた後、高円寺にある“ニューハーフパブ”で働いているというのである。

「あ、そう。あぁTさんていたね。最後に店長と揉めた娘で。ふぅ〜ん、そうなんだ。」って聞き流そうとして、耳を疑った。
今“ニューハーフパブ”って言わなかったですか???
ニューハーフパブって女性でも働くこと出来るの???

そのお茶を一緒に飲んでいたセラピストさんに、そう尋ねるとその娘がハッとした表情で自分にこう言ったのである。
「あれ、もしかして修治さんTちゃんが男性だって事知らなかったんですか?私てっきり当然知っているものだとばかり思っていました」と。

最初はその娘が自分をかついでいるのかと一瞬疑ったが、しかし、店長のさらに上の立場である自分に対して、冗談を言ったりするような人では決してない。
と、いうよりもそのセラピストさんのその一言で、今まで自分の記憶にあったTさんに関する全ての事が一瞬で結びついてしまったのである。

実は辞めたTさんは、女性ではなく性転換の手術を受けた男だったのである。
その事実を知っていたのは以前の経営者の頃から働いていた、古くからいる女の子だけだったのである。

喫茶店で自分にその話をしてくれた女性とは、うちの会社が新しく経営する事になってから2ヶ月ほど一緒に働いて仲良くなっており、店長と揉めて長年働いたその店を辞めることが決まった後に

「実はあたし本当は男なんだ。何年か前に手術受けたの・・・それで今度ここ辞めたら、高円寺のニューハーフパブで働くんだ。ほら、もうその店の面接も受かって源氏名も決まってるんだ。」と話して新しい職場の名刺もくれたらしい。

事実を打ち明けられたその娘もびっくりして「えぇ~!嘘でしょう。Tちゃん、私の事からかっているんでしょう。」と言ったら、Tさんは「こんな骨格して、こんな声した女がいるわけないじゃん。」と笑っていたそうです。

たしかに、女性にしてはガタイが良かった。声も低かったし、フロントの男子スタッフとも平気で怒鳴り合いの喧嘩していたし・・・・・しかし、まさかねぇ~~
だが、ニューハーフクラブでは入店する際に、身分証明書で身元確認をするから性別のごまかしは効かない。

会社が以前の経営者から買い取った時点で、Tさんはすでにその店で2年前から働いていたので、自分も従業員名簿があるのだけを確認しただけで、身元確認をしなかったのだ。

だって、するわけがない。まさか女性だけがセラピストとして働いている店で男が(ニューハーフが)働いている・・・などとは露にも思うわけ無いからである。

そんな驚くような出来事が自分の職場であったわけです。
しかもたまたま喫茶店で同僚だった女の子に話を聞かなかったら、それにすら気付かなかったわけだ。
長い事歌舞伎町で商売しているけど、やっぱりこの街はディープだ・・・奥が深いな・・・と実に感慨深い出来事でした。
 フェアリーの営業が開始してから2年ほど経過した頃、歌舞伎町のとある健全なマッサージ店を、うちの会社で買い取らないか?!との打診が、ある人から回って来た。
ある人というのは、その健全なお店を3年ほど以前から経営していた社長さんだった。

フェアリーはお触りや回春・抜きの有るエロマッサージ店だから、ここらで一つ健全なマッサージ店もやっておくのも悪くないだろう・・・と考えたので結局その話に乗った。
健全なお店を経営するにあたって、マッサージをする施術者はそちらのお店も女性(つまりセラピスト)だったから、そちらのお店で求人をかけておいて、希望者がいたら幾人かは風俗エステ店であるフェアリーに在籍させても良いな・・・と考えた。

逆にいうとフェアリーに、エロの一切無いお店だと勘違いして面接にくる求人者もいたので、その逆も有りだと思ったのだ。
つまりフェアリーがエロ有りのマッサージだと知って辞退する求人者にはそちらの健全店を教えてあげれば良いと思ったのである。

しかし上に書いた目論見は見事に外れてしまった。
いや、フェアリーに働きに来る女性は、ソフトサービスの風俗が良いから働いているわけであって、フェアリーから健全なお店にヘルプに行って働く子はいくらでもいたのであるが、逆にその健全なお店からフェアリーに働きに来る子は皆無だった。

もっとお金が稼ぎたい・・・という娘がいたので、2,3名にフェアリーのサービス内容を教えて、お給料を教えて「やってみる?」と聞いたけれど、皆一様に「とんでもない。出来ません!!」という反応だったので、自分としてもそれ以来風俗エステ店の話は一切しなくなってしまった。
別に無理に奨めるつもりもなかったのであるが、それ以上言うと「セクハラです!」なんて言われてビンタが飛んできそうだったから。
自分は今までは風俗店をずっと担当してきていいたので、風俗専門の求人誌や求人サイトなどで働く女性を募っていたのであるが、初めて一般の求人雑誌(anだとかフロム・エーだとか・・・)に求人をかけて、さらに職安(ハローワーク)などにも出入りしたりする経験を会社にさせてもらったので、これはこれで良い勉強になった。
ところでそのお店はその後、自分から会社の別の人間が担当することになったので、自分は外れたのだが、今回の日記の内容はその頃の話の事である。

会社が新たに買い取った健全なアロママッサージ店での当時の出来事であるが、以前の経営者から居抜きで設備やその時働いていたセラピスト全員をそのまま引き継いで営業を再開始して、しばらくした頃の話である。

当時大手のエステティックサロンから、ある人の紹介でエステ業界歴の長いエステティシャンをそのお店の店長として引っ張ってきた。
その女性店長は就任した当時から店長らしい仕事はほとんどせず、その割にはしょっちゅう以前から働いていたセラピストとトラブルを起こす事が多かった。
そんなにしょっちゅう職場の人間関係でトラブルを起こす事自体、店長としての協調性やリーダーシップが無いという烙印を押されてしまうわけだが、それよりもこちらにとって面倒くさいというかタチが悪いのは、そうやって自分の未熟さゆえに店内の人間関係でトラブルを起こしておきながら、そのケツを結局は自分の所(わたくし修治)に持ってくるのだった。

これにはホトホト困った。店の中での事はある程度までは店の中で解決してくれないことには店長として雇った意味が全く無くなるからである。
しかし悩みの種のスタッフは女性店長ばかりではなく、もう一人いたのであった。

その店では女性の店長を雇う以前にはフロントで受付をする男子スタッフを雇っていたのだが、その男子スタッフとでも平気で怒鳴り合いの喧嘩をするトラブルメーカーのセラピストが1名いた。
そのセラピストの名前をTさんとしておこう。

その店は歌舞伎町にあるアロママッサージのお店だったので、飲んだ後に終電を逃してしまったサラリーマンの方やお店が終わったあとにマッサージを受けに来る水商売の女性の為に、早朝まで営業していた。
そしてTさんはそのお店で深夜番を担当していたのだった。
Tさんがお店に出勤してきてからまずやる事といえば、歌舞伎町のコンビニで購入した弁当を食べる事である。

これは毎回決まって彼女が出勤してから行うルーティーンになっており、タイムカードを打刻し忘れることはあってもロッカールームで弁当を食う事だけは決して欠かさないのだった。

出勤してから、まずは腹ごしらえ・・・という行為をしない日は1日も無く、もはや彼女にとって仕事に入る前の儀式の様にすらなっていたのである。
腹が減っては戦は出来ぬ・・・といったところだろうか?!
しかしそんなに腹が減っているなら「仕事前に家で食ってこい!」と言いたかった自分であるが、そこは女性相手の事なので黙認していた。

彼女が仕事前にコンビニで買ってきて職場で食しているフード。
その内容は“大盛りカルビ弁当”に“おやつ代わりの肉まん”だとか“スパゲッティカルボナーラ”に“ファミチキ”(ファミリーマートで売られているフライドチキン)だとか“ボリュームステーキ弁当”+“プリン”などという、食べ盛りの男子高校生が好むようなボリュームのすごいラインナップだった。
そういう様子を見て「どんだけ高カロリーのフード食ってんだよ・・・」といつも自分は思っていた。
美を売り物にするエステティシャンが太っていちゃダメだろ、もうちょっと痩せていないとなぁ〜と当然思った。

この部分については、言ってみればこの話のオチの伏線なのだが、当時は自分はそのTさんを見て「やれやれ、よく食うな。出来ればもう少し痩せて欲しいけど」とは思いはしたが、特にそれ以上は問題視していはいなかった。

食べている物の内容が表している通り、彼女は世間一般の物差しで言えば結構太っていた。はっきりデブと言っても過言ではない体型だった。
しかしデブというよりも、もっと適切な表現があった。
それはつまり『ガタイが良い』という表現がピッタリなのであった。
何というかこう、女性の割には骨組みがしっかりしていて骨格そのものがガッチリしていたのである。

さて・・・アロママッサージ店の深夜帯は忙しい日もあれば、当然暇な日もある。週末などは深夜も忙しく、平日は比較的暇である。
セラピストはお客様を担当していない際には、マッサージ用のベッドなんかで横になって仮眠を取っていることが多かった。
問題のTさんは出勤してすぐにそのボリュームたっぷりのコンビニで購入した弁当類を食べ終わると、すぐにお客様を接客する必要がない時は、すぐにベッドで気持ち良さそうに横になっている事が多かった。
その様子は牧場でたっぷりと牧草を食べた黒毛和牛が満腹になって気持ちよさそうに寝そべっている様子にそっくりだった。

上で「すぐに接客する必要がない時は」と書いたのだが、問題はTさんは、出勤してすぐに接客しなければいけない状況の時ですら、つまり受付を終えたお客様が待っている場合でさえ、出勤してからまずはとりあえず弁当を食う・・・という行為を止めなかった点である。

これには流石に他のセラピストやフロントの男子スタッフも怒りました(苦笑)
怒ってもTさんにとっては仕事に入る前の“儀式”だから絶対にその行為を止めない。とにかく出勤したらまずは飯を食わないと仕事を始めないのである。
注意したスタッフには“せっかく温めた弁当が冷めるから”とか、なんとか自分勝手な事を言っていたらしい。
いくら周りが「お客様がもうだいぶお待ちになっているから」と説得しても平気の平左だし、男子スタッフやちょっと気の強いセラピストが怒って注意すれば逆切れして大声で喚くし・・・で手が付けられなかった。 ただ一人自分を除いては。

自分は現場の全ての決定事項を決める権限があったので、「あんまりお客様や他のスタッフやセラピストに迷惑かけているなら、いつでもクビにするから」という雰囲気を常に醸していたので、Tさんも注意すると素直に従っていた。
自分が注意してからは、出勤してからすぐに接客を担当しなければいけない状況の時は、弁当を食べるのを止めたTさんだった。
本音の部分を言えば、自分としてはそのTさんというセラピストを早いとこ解雇してしまいたかったのであるが、なぜかそのTさんには男性のお客様(そのお店は男女両方のお客様が利用できる店だった)の指名がついているのだった。

Tさんは男性のお客様の気持ち、俗にいう“男心”というやつをよく理解しているらしく、それが彼女の指名につながっているようであった。
それに深夜番で働いてくれるセラピストは少なかったので、指名も取れているTさんを解雇する理由も「やや他のスタッフやセラピストと揉めるきらいはある」という点を除けば、特には見当たらなかったのである。

その店で一番問題だったのは、話の初めの方に出てきた大手のエステからやってきた女性の店長だったのである。
しかしその女性の店長もオーナーの命令には従わざるを得ず、途中からは結構頑張っていたのであるが、ある日とうとうトラブルメーカーのTさんと大喧嘩になってしまった。

                 (続く)
 皆さん初めまして藤井ゆうかです。最近こちらのお店に入店しまして、お仕事させていただく事になりました。
マッサージは元々大好きで、フェアリーに入る前にもちょっとだけお勉強をしていました。
これからも接客を担当させていただくお客様に満足していただけるようにもっと練習していこうと思います。

あと、ちょっぴりHな事も大好きです(笑)こちらのお店で初めてDVDを見たり、お店の女の子たちに教わったりして覚えた回春マッサージも・・・もっと上手になりたいです(笑)
男の人のアレってカワイイですよね♥♥♥(笑)男性がわたしの指使いに感じている姿を見るのも大好きです。

男の人にいっぱい気持ちよくなってもらえるように頑張りますので、是非会いに来てくださいね♪コピー ~ _DSC0989
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世代が違えば小中高生の頃、よく見ていたテレビの番組やよく聴いていた音楽、読んでいた漫画などサブカルチャーにもギャップがあるのが当然。
自分と清吉さんは歳はやや離れているが、見ていた番組、聴いていた音楽などはほぼ重なる。昔は今ほど娯楽がなかったから子供から若者まで、今の人たちよりも幅広く同じ番組を見たりしていたからだと思う。

この前事務所でyou tubeで“THE MODS”の 「バラッドをお前に」を聴いていたら、お店のセラピストさんに「この歌誰が歌っているんですか?」と質問された。
20代前半の娘たちなら知っているわけないよな・・・と思った。自分が中学生の頃はモッズの曲はCMなんかでも使われていたものだが。でも“バラッドをお前に”なんかは今の若い人達にも受ける歌だと思う。おそらく良い曲だな、と思ったから質問されたのだろうし。
良い曲は時代を越えていつまでも残るから。

今年は年明けそうそう自分が大好きな俳優二谷英明さんが)亡くなわれてしまった・・・・・とてもショックだった。
同じ刑事ドラマでも、自分の中では『太陽にほえろ!』の石原裕次郎演じる“ボス”こと藤堂係長のアクの強さよりも(それに晩年の裕次郎は顔がブルドックみたいだった)『特捜最前線』の二谷英明演じる神代課長の方が知性と品の良さが感じられて好きだったのだ。

下にリンクの貼ってある、このCM集の中ではネスカフェのCMと日産のセドリック・フルムーンのCMが印象深く、よく憶えている。
ただ特捜最前線の中で神代課長役を長年見てきていたので、フルムーンのCMは何度見ても、どうも変な感じがしてしまって仕方なかった(笑)「えぇ〜?!」といった感じで。
特にフルムーンのCMの1本目の白いサマーセーターを着ている二谷英明はどうも違和感があって(苦笑)

自分が若い頃に好きだった役者・俳優さん達が毎年、毎年亡くなっている。自分もこりゃ歳を取るわけだ・・・とつくづく思うわけである。そういえば二谷英明の娘の二谷友里恵ももう50歳に近いはずだ。
年月は気づかぬうちに確実に流れている・・・当たり前の話だけれども。自分の印象では郷ひろみと結婚した当時の若くて綺麗な姿しか記憶の中にないわけだから。


「バラッドをお前に」http://www.youtube.com/watch?v=k7Rvdqb0v5s&feature=related
「特捜最前線」http://www.youtube.com/watch?v=Z-aFwVRMnug&feature=related
「CM集」http://www.youtube.com/watch?v=LFKFGlY9ouU







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(多分2年くらい前の5月頃のブログ)
この頃は春らしい陽気と言うよりはむしろ暑かったり蒸し暑かったりする日も多くなってきて、徐々に梅雨にむかって季節が移り変っているのだな・・・というのを実感する。
フェアリーの事務所で飼っている柴犬の“りゅう”も暑くて寝苦しいのかまるで人間が仰向けになって寝る様な体勢で寝転がっている事が多く、可哀相なので扇風機を犬小屋の近くまで持っていって風を送ってあげている。
ちょっと過保護な様な気もするが・・・

自分は以前にも書いたけれど、現在2匹の雄の柴犬を飼っているので世話をするのが大変だ。特にこの時期になると夏毛へと毛が生え変わる時季だから、毎日掃除機をかけていても部屋の床の上は毛だらけ。

唐突だがロシア語では暑いという単語は“ジャールカ”と言う。それに対して蒸し暑いは“ドゥーシナ”。
この蒸し暑いという意味の単語“ドゥーシナ”を友人のルースキー(ロシア人)が自分に拙い日本語で一生懸命説明してくれた言葉をそっくりそのまま書くと“空気の中に小さい水がいっぱい”(笑)だそうだ。
湿度が高くて暑いという事を言いたかったわけだが、この説明で自分もよく理解出来た。

さて、今くらいの時季になると、そろそろ飲食店に入り「テイクアウトお願いします」と言っても例えばお寿司屋などであれば「あぁ~すいません。今くらいの時季から秋くらいまではお土産やっていないんですよ」と断られてしまう事が多い。
実は昨日仕事が終わってから新宿の靖国通り沿いのお寿司屋さんに入って「持ち帰りって出来ますか?」と半分断られるかな?!と思いつつ恐る恐る聞いてみたら、あっさりと「はい!やってますよ」とOKだった。まだギリギリ大丈夫のようだ。

家に寿司折を持ち帰って、その寿司の入った箱をテーブルの上に置いたまま、家で飼っている黒柴(犬)がじゃれつくのを邪険に追い払いつつ床に散らばっている犬の毛を掃除機で吸って掃除していた。
そうしたら自分の背中の方で何だか犬が悪さしている様な嫌な予感がしたので後ろを振り返ってみた。

すると、その黒柴があろうことか自分が持ち帰った上寿司の折に飛びかかって、前足で机の上から引きずり落とそうとしているのに気が付いた。
慌ててその行為を止めさせようと思い、自分も何を思ったのか咄嗟に気づいたら手にもっていた掃除機のノズルで、後ろ足で立ち上がって机に飛びついている黒柴の尻尾を吸い込んでいた。

さすがに犬は驚いたのか、後ろ足2本で立って前足で寿司折を机から落とそうとしていたものだから、ビックリした際に勢い余って寿司折が前足に引っ掛かったまま寿司の折箱ごと後ろに引っくり返ってしまった・・・・・・・・・・・・・・・・

ウワッ!!と思ってこちらも慌てて寿司折を拾って、ふたを開けて中身が無事か確認してみたが、多少ネタとシャリがずれてしまった寿司がいくつかあったけれど、全壊までは至っていなかった。何とかちゃんと食べられる範囲だ。良かった♪
危うく晩御飯のお寿司が台無しになって最悪の一日の終わり方になるところだった。

「こいつ、犬のくせにそんなに寿司が食べたいのか?!」と思ったので、黒柴にもマグロやタマゴなど安い寿司だけ食べさせた。でも犬ってワサビ食べさせても大丈夫なんだろうか?!たしか犬の買い方の本にはワサビや辛しなど刺激物は食べさせないように!と書いてあったはずだけれど。でも平気でガツガツ食べていた・・・

さて、退屈な話はおいておき、明日は日曜日だからブログのクイズ割引のお客様がたくさんいらっしゃっていただけたら良いなぁ~と考える。同僚の清吉さんもきっと同じ気持ちだろう。

前回のブログを書いた後、それを読んだ酒飲みでおまけにうん蓄がうるさいバーの好きな友人が「日本人のくせにジャパニーズ・ウィスキーを普段から飲まないでスコッチばかり飲んでるからお前はダメな奴だ。」と自分に言うのである。
何がダメなのかよく理解出来ないけれど(苦笑)
自分もそれには「サントリーの角瓶は焼き鳥屋やもつ焼き屋でよくハイボールで飲む。飲むけど何でバーで高いチャージ払ってカッコつけて飲む時までジャパニーズ・ウィスキー飲まなきゃいけないの?!大体ウィスキーを作る過程で必要な材料が全て日本で揃うわけじゃないから(ピートの事)ジャパニーズ・ウィスキーなんて言葉自体が邪道でしょう(別に本音はそうは思っていないけど)。アメリカ人が作った日本酒をじゃあ貴方は飲む気になりますか?」とそう返したら、自分の事を屁理屈ばかり言う奴だ、と言っていた。どっちがだ?!と思った。

とは言っても、山崎や余一の味は好きなので人から貰ったりすれば大喜びで飲んいる。

別に自分は酒なら大抵何でも好きなので、特にウィスキーだけを好んで飲んでいるわけではない。ラムもピンガも日本酒も、グラッパもワインもウォッカも何でも好き。ただ蒸留酒に比べて醸造酒系は量を飲むと二日酔いしやすい傾向が自分にはあるので、自然とスピリッツ系の酒を飲む事が多くなってしまうけど。
お酒は内臓を壊さない程度に飲むのが一番だ。“たしなむ”って言うんでしょうか、それくらいが良いと思う。
人によってたしなみ方の差はあるのだろうけど(笑)

ところで6月になれば月の後半には、そろそろ一年の中で一番鬱陶しい梅雨がやってくる。だからそれまでは多少暑苦しいお天気が続いていても“梅雨時よりは今はまだマシだ”と考えて生活しようと思っている。
梅雨になったらなったで、梅雨明けするまでには結構時間がかかるから、毎日雨を見ながら憂鬱に感じているだけではテンションが下がって仕事にも影響が出る。
その頃までには「梅雨を楽しく過ごす方法」を見つけようと思います。そんな方法があれば是非当店のお客様に教えていたきたいくらいです。
 日記とブログの違いって何なのでしょう?!多分自分一人の為に書く物が日記で、誰かに読んでもらう事を目的に書く文章がブログなのだろうか??はっきり言ってその違いは分からない。ネットで検索すればその違いも分かるのかもしれないけれど、別にどうでも良い様な事なので調べる気にもならない。

昨日10日は自分と同僚の清吉さんの給料日だった。清吉さんは自分とは8年も一緒に仕事をしている仲なのだが、金遣いが荒い。ハッキリ言って金にだらしない男だ。まぁそれも離婚した原因の一つなのだろう。しょうもない男である。
昨日も自分は給料袋の封を開けてもいないうちに、彼はさっさと仕事の後にお金を握りしめてどこかへ出かけていってしまった。
自分の趣味と言えば、漫画喫茶へ行くこと・ネットで将棋を指すこと・読書・プレステ3でゲーム・あと運動すること・・・だから金のかからない趣味ばかりである。

対して清吉さんの趣味は2ショットダイヤル・ソープランド・酒・スナックでツケで飲む事・ビデオボックス・・・と、こちらは金のかかる趣味ばかり。金遣いが荒いのもうなずける様な内容だ。
まぁ人がその人の給料をどう使おうが勝手と言えば勝手だが・・・月末になると「1日300円でやっていきます」なんて言っている。うちの会社で働かせていなければとっくに路上生活者になっていてもおかしくない。
まぁ人には誰しも良い所と悪い所があるから、人間性は悪くないし、ミスばかりだけれど一応は一生懸命やっているようなのでドジばかりするがそれも彼のキャラとして確立されてしまっていて(というのも困った話ではあるが)今日に至る。

路上生活者という言葉で思い出したのがジャック・ケルアックの作品“路上” 
でも路上の主人公はベトナム戦争帰りで国の功労者だからアメリカ政府から功労金を貰って生活していたので、別にホームレスというわけではない。
この前開高健の輝ける闇を読んだけれど、戦争とは凄いものだとつくづく思う。あぁいう作品を読むと、一昔前の戦争は、本当に生きて帰れるのが全く不思議なくらいだ。
最近自分がプレステ3でコール・オブ・デューティー4をやっているから、余計にそう感じてしまう。
ロシアが好きな自分としては、このゲームはロシア人の軍人をバンバン撃ち殺すゲームだから、プレイしていてちょっと微妙な感じではあるのだが(苦笑)でも凄いリアルな戦争ゲームだ。ハマリそうである・・・というか、多分もうハマっている。


深夜に一人書いている日記というかブログなので、脈絡もなく唐突に話題がとんだりする。昨日お店のセラピストさんと仕事の後にお互い今まで付き合ってきた人達の遍歴というか、ドタバタというか、「自分もあの頃は(色々な意味で)若かったなぁ〜」的な話をした。
若かったなぁ〜というのは、つまり若さに対する憧憬ではなくて、甘ちゃんだった・アフォだった・未熟だった・・・という意味である。
自分など女性では人並み以上にしなくても良い様な馬鹿な目に遭ってきたような気がする。

実際の恋愛経験が少ないと、男性でも女性でもすぐに知り合った異性を好きになってしまいやすい。
自分の場合は、恋愛経験などという綺麗な言葉で表現するにはちと違うような気がする馬鹿馬鹿しい付き合い方が多かった。

はっきり言うと風俗業界に入ってからというもの、自分は素人の女性と付き合ったことがほとんど無いのである。今までハッキリと付き合った・・・と言える女性はキャバクラの娘2人・ソープ嬢1人・エロサイトで働いていた女性1人・・・・・と、こんな具合なのである。
寿司職人の頃はお客さんの女性と付き合ったこともあるのだが、風俗の業界に入ってからは付き合った女性がすべて夜の商売の方たちばかりだったのだ。
そしてほとんど全員の女性と同棲していた。なぜかそういう展開になってしまうのである。こちらは全く同棲というライフスタイルが嫌だったのであるが(相手の束縛がすごいから)自分の心の中にも「同棲すれば面倒くさい洗濯や掃除とか、多分全部やってもらえるだろう」というスケベ心が芽生えてしまって、つい相手に「一緒に住もうよ」と言われると、キッパリと「いや、同棲するのは好きじゃないのでやめとくよ」と言えなかったのだ。(今は言える。でも相手がいないけど)

それに自分が優柔不断だから相手が一緒に住もうと言ってきて、自分が賛成とも反対!とも言えず、ぐずぐずと曖昧な返事をしていると、相手が勝手に「一緒に家具を見に行こう」だとか嬉しそうにしている。そういう様子を見ると、ますます「やっぱり止めておきます」とは言えない。相手が「何を今さら!!」と怒り出すのを見るのが嫌なのだ。

そして同棲した女性からはほぼ全員に暴力を振るわれた。着ていたトレーナーの襟と袖の部分はすごい力で引っ張り回されてびょーんと伸びてしまったし、殴られてメガネのフレームが歪んだこともある。
相手があまりに怒りまくるヽ(`Д´)ノので、辟易としてたまらず漫画喫茶に避難しようとして玄関まで出たら、居間の方から皿や灰皿、フライパンの蓋などが飛んできた事もある。
マンションの駐輪場まで走って逃げて、自分の自転車に飛び乗って走り出したら、その後をその娘も自分の自転車に乗って100メートル以上も追いかけてこられた事もあるのである。
部屋で相手が暴れ出した時、相手が女性なのでどんなに相手に暴れられても殴ったりする事が出来ず、相手をベッドの上に放り投げて上から毛布で包んで押さえ付けた事もある。
自分の身体の下で毛布にくるまれた状態でも滅茶苦茶に叫びながら暴れまわっていた・・・・・
自分の服を掴みながら執拗に殴りかかってくるので、「やめろよ!」と言って手を振り払ったら相手が尻餅を付き、次の瞬間110番をされてお巡りさんが玄関まで来てしまった事もある。
歌舞伎町の一番街通りの滅茶苦茶人が大勢歩いている時にキレられて人目構わず喚き散らされたり、飼っている犬を蹴っ飛ばされたこともあるのだ(これはツラカッタ)
あと、ある一人の女性には相手が興奮してギャーギャー言い出すと決まって「自殺する。ビルから飛び降りてやる!」と言われた。そして玄関からサンダルも履かずに裸足で非常階段の方に飛び出していってしまうのである。
これには本当に焦った。本当にやりかねない勢いで飛び出していくのだから。こちらも顔を真っ青にして慌てて後を追い、非常階段の手すりから身を乗り出して本当に飛び降りてやしないかと下を見たりしていた。

そして毎回その彼女はしばらく裸足で飛び出していったまま戻ってこず、30分程もすると玄関の鍵がカチャっとあいて、電気も付けていない暗い玄関に黙ってじっと立っていたりするのである。怖いなんてもんじゃなかった・・・・・
その頃には相手も少し落ち着いているので、玄関に行きシャワールームに連れていって汚れた足を洗ってやったりしていた。ほとんどメンヘラなんじゃないか・・・と思える女性が多かった。

上に書いた内容はそれぞれ別の3人の同棲相手の女性から自分一人が受けた虐待である。そしてこれが作り話一切なしのノンフィクション。
本当に女性は一緒に住んだりして素顔を見せるようになると怖いものだと悟った。一緒に住んだりする前とはまるで別人である。

これだけされても自分は一度も相手の女性を殴ったりしたことがない。おそらく相手も絶対に自分が手を出さないと分かっていて暴れていたのだろう。
一度付き合っていた女性が暴れて、その後興奮が醒めて落ち着いた頃「なんであんな無茶苦茶に暴れて叫びまわって、自分に対して暴力を振るうのか?」と静かに尋ねたら、その時その女性は「○○さん(自分の名前)なら、自分がいくら無茶やっても、暴れても何となく大丈夫そうだと思っちゃうんだよね・・・」としんみりと言われた事があって、その時その彼女の言った言葉と表情は今でも忘れられない。

だから結婚している男性は自分が体験してきたようなDV(ドメスティックバイオレンス)は程度の差こそあれ、多少なりとも相手の女性から受けているのだと思う。
しかし結婚経験も無く、あまり女性と深く付き合った経験が無い人はこれから気を付けたほうが良いと思う。本当に素のままの女性は怖かったりします。特に気を許した男性の前で豹変してしまったりするケースもあるから。



昨日は成人の日で祝日だったから、さすがの繁華街も早めに店じまいする飲食店が多くて、仕事後に同僚の清吉さんと一緒にどこかで1杯やって、何か軽く食べよう・・・と思ったのに普段行く店はどこもやっていなかった。
だからといってコンビニで何かつまみを買ってきて、フェアリーの事務所で1杯やるか、という気分にはなれない。
贅沢を戒める禅寺でさえ、人間は嗜好品や美味しい物をすっぱり諦めることは出来ないだから市井の中で生活する自分の様な普通の人間にとって食べる事に真剣になるのは仕方ない。

学生時代に自分が半分居候の様に転がり込んでいた大泉学園の将棋の師匠は重度のアルコール中毒患者で、昼過ぎに目が覚めると畳に置きっぱなしにしてある焼酎大五郎の4リットルのプラスチック製のボトルから、紙コップにドボドボと焼酎を注ぎ、これもまた畳の上に置きっぱなしのウーロン茶のペットボトルからお茶を足して寝起きの1杯をやってから布団を抜け出す・・・という毎日を送っていた。
昼から真夜中までビール・焼酎・日本酒と連日深酒で、師匠の歯はボロボロに欠けてしまい、アルコールで胃がやられていたせいで食べ物にはさほど執着心が無かったのであるが、それでも湯豆腐とおでんのハンペンには目がなかった。。
あまり食べる事に熱心では無いと言っても誰にでも好物はあるものだと思った。

以前清吉さんと話をした際、彼は食べる物に関して質と量どちらを優先するか?と聞いたら“僕はとにかく量を取ります・・・”と言っていた。
今の自分は当然質の方が大事だ。若い頃はしゃぶしゃぶの食べ放題のお店(1時間半でたしか1900円くらいでした)で紙切れみたいに薄くスライスされた冷凍のオージービーフの皿を一人で12枚程も食べたことがありまる。
もっともあんなにうすっぺらく切ったのでは中学生以上の男子であれば7,8皿は誰でも軽く食べると思う。
だから特に自分の若い頃が格別に人よりも大飯喰らいだったわけではない(と思う)。

しかし今ではあの当時はまぁまぁ美味しいと思った冷凍の食べ放題の肉も、全然食べる気にはならない。
数年前に友人に誘われて嫌々、気乗りしないままに食べ放題のバイキングに誘われて行ってみましたけど、やはり美味しくはなかった。
和洋中色々な料理の大皿を目の前にしても、ちっとも食べたいとは思わなかった。
若いうちは腹がふくれれば何でも良い、でも歳を取ったら適量で良いので美味しい物が食べたい。

以前ブログに書いたことがあるけれど、ちょっと前まで同僚の清吉さんはジャーで炊いたご飯を一度に3合近く、ケンタッキーフライドチキンを5、6本!!それのみをおかずにして食べていた。
あれには自分よりもかなり年上なのに、こんな無茶な食べ方をして胃は大丈夫なのだろうか?いや、それよりもその不思議な味覚はいったいどうなっているのだろう??と呆れた。

きっとそのうち何かしら成人病を患うであろう・・・と思う。もう患っているかもしれない。

ケンタッキーのフライドチキンそれのみをおかずに(しかもそれだけで)白米を3合も食べる人は彼以外に自分は知らない。
子供の頃、実家の近所の同級生のうちに遊びに行った時に、友達がカップラーメンをおかずにしてご飯を食べているのを見て不思議に感じたのだけれど、その時以来の驚きでした。
しかし大阪人はお好み焼きをおかずに白米を食べたりする・・・というのも何かの本で読んだりしたことがある。
それに歌舞伎町のセントラルロードにある立ち食いそば“後楽ソバ”には三色定食なる珍奇なメニューがあるのだが、これがこの店のユーザーにはかなり人気があり、自分がたまにこの立ち食いそば屋でイカ天そばなどをすすっていると、かなりの数の人がこの三色定食なるメニューをオーダーしているのだ。
三色定食の内容は、ソバかウドンに炊き込みご飯、そして焼きソバというこの店の三種の神器を合体させたメニューであり、スーパー炭水化物定食と自分は影で呼んでいる。
常連は三色定食の事を“サンテイ”と略してオーダーしている。「サンテイうどんで!」とか「サンテイソバで!」とかいった具合に。
これを読んでいただいている方も一度お試しになられてみてはいかがでしょうか?!セントラルロードの後楽ソバの三色定食通称“サンテイ”を。スポーツ選手がカーボローディングする際には良いかもしれない。
ちなみに自分はうどんかソバ・五目炊き込みご飯・焼きソバ単品はそれぞれ食べた事はあるけれど、まだ一度もサンテイは食べたことがない。

世の中にはこんな具合に奇妙な食べ合わせの物が存在するから、上に書いた清吉さんの「白米3合ケンタのフライドチキン5,6本添え」という食べ合わせも、ファーストフードを食べつけている今の若者にとってなら、あまり違和感がないのかもしれない。
現にですよ・・・少し前にその話をお店の女の子にしてみたら「え?!それって別に不思議じゃないですよ」と言われてしまったではないか.ビックリ(;゚Д゚)!
でもやっぱり自分なら白いご飯には焼き魚などが良いな・・・と思う。秋刀魚や鯖や鰯などの青魚は身体にとって良い脂肪があるから焼き魚にすると美味しいだけでなく健康にも良い。


さて話はもとに戻って昨日の仕事後、結局歌舞伎町の中ではめぼしい店はどこもやっていなかったので、足を伸ばして寒空の下、二人で寒い、寒い・・・と言いながら職安通りのハズレにある焼き鳥屋に初めて入ってみた。
入った瞬間、自分にとってこの店はダメな店っぽい負のオーラが感じられた。
まず生ビールを頼んだ。まぁビールは冷えてさえいれば普通に美味しいので問題はなかった。次に熱燗を頼んだ。

ちょっとしてから熱燗が来た。なぜか湯呑に熱燗が入っていた。自分は寿司屋などで冷酒を頼んだ時に、連れが日本酒を飲めない人だとガラスのお銚子などに入っている日本酒を、ガラスのコップに移し変えてもらったりすることはある。
しかし、何も言っていないのに湯呑に熱燗を入れて持ってくるのってどうなんだろう??

熱燗を頼んだらやっぱりお銚子に入れて持ってきてもらい、最初の1杯くらいはお互いの猪口についでから飲むもんなんじゃないかと、正しい酒飲みの一人としてそう思うのであるが・・・・・
それはまだ許せるとして、湯呑が手に持てないほどに熱い!熱すぎておしぼりで湯呑を包まないと持つことが出来ない。
飲食店で働いたことのある人間として、すぐに「これは湯呑に酒を入れてからレンジでチンしたな。それも時間の設定間違えてチンしすぎでしょう。」と思った。

何とか湯呑を持って口に近づけようとしたら、まずおかしなにおいが鼻についた。こんなにおいのする日本酒は、酒を飲み始めてから20年飲んだことが無かった。
口に含んんでみたらバカに甘い。いや甘いなんてもんじゃない。ベタベタ甘すぎる。それに大体アルコールの味がまったくしない。
思わず隣に座っている清吉さんに「何かこれオカシクないか?」と尋ねたら、彼も「いや臭いだけで、もう」と言ったきり口をつけようとしない。
何に例えて良いのか分からないが、無理やり例えるとすると調味料のミリンみたいな味である。とても日本酒と言われて出されても信じられる味ではなかった。

目の前のカウンターの中にいる女性に思わず「これ、ずいぶん甘いお酒ですね」と言ってしまった。その女性は馬鹿なのか鈍感なのか分からないけれど、自分がその酒を甘い・・・といった事に対してニッコリ笑っていた。
おそらくその時の自分の表情は相当訝しげな表情をしながら「これ甘いですね(ちょっと何かおかしくない?)」というニュアンスで言ったはずなのだが、一向に伝わっていないようだった。

それから2口、3口我慢してその不味い熱燗をすすり、堪りかねて再度「あのぉ〜すいません。この熱燗なんてお酒使っているんですか?」と聞いた。

飲食店をやっている人間であれば、ほとんどの人はその前に自分が不思議な表情で発した「甘い」という言葉と、熱燗の中身の酒をわざわざ尋ねるという不思議な言動で、「アレ?!何かおかしかったかな?!」と気づくはずなのだが。
目の前の女性と焼き鳥を焼いているもう一人の女性は、自分がその熱燗を美味しいと感じて酒の銘柄を訪ねたとてでも思ったのか、焼き台の下から酒の一升瓶を持ち上げて「はい、今日はこのお酒です」と見せてくれた。
一升瓶のラベルには“松竹梅 上撰”と書いてあった。

「むぅ〜確かにこの手の清酒はあまり飲んだことがないけれど、でもどこの居酒屋で飲んでもこんなに熱燗がマズかった経験って無いなぁ。不思議だなぁ〜こういう味の酒なのかなぁ・・・」とそのあまりのマズさに落ち込んで、早いとこその店を出たくなった。

女性二人でやっている店で、カウンターには自分達以外に常連らしき男性客が二人おり、その二人はしきりに自分が首をかしげながらその酒を飲みつつ、隣の清吉さんに顔をしかめながら「これって(そのマズイ熱燗)、こういうモンなの?」と話しているのを見て怪訝そうな顔をしていた。
お会計をしてもらい、席を立つときに堪りかねて「あの〜すいません。このお酒何かおかしくないですか?これってアルコール飛んじゃっていませんか??」と尋ねた。
お店の女性もえっ!!という顔をして、慌てて自分の飲み残しの酒を小皿にとって舐めていたようだが、その時にはもう自分は店の引き戸を開けて外に出てしまっていたので、その後店内でどういうやり取りがあったのかは知る由もない。

願わくばその小皿にとって舐めていた酒を味見して「湯呑が持てない程にレンジで温めすぎて、アルコールがとんでしまっている」という事に気づいてくれれば良いのであるが(苦笑)
その後清吉さんと一緒に24時間営業の蕎麦屋に入り、あまりにも口の中が甘くて胸焼けしそうだったので、カレーそばを頼んで食べながら「あの後常連らしい二人の男性客と、店の二人の女性店員でどういう会話になったのかな?」なんて笑いながら話をした。
清吉さんも「残った酒を味見して気づいてくれればまだ救いがありますけど、なんだ、何もオカシクないじゃないか・・・なんて言われていたらしょうもないですね」と言っていたけど、自分は「でも、もう二度と行く事の無い店だからどっちでも良いんじゃない?!」なんて話をした。

そんな残念な仕事後の1杯だった。おかげで今日は二日酔いにもならずにすんだのは怪我の巧妙だけれど。










 自分と同僚の清吉さんにとって、1年に唯一あるお休みがお正月休み。ご常連のお客様の中には我々スタッフ2名に休みが無いのを知って「あの二人大丈夫なの?」とご心配していただいている心優しいお客様もいらっしゃるそうだとか・・・・・
人の情けが心に染みます・・・が、まぁなんとか大丈夫です。なんとかやって行けておりますので。

ただ毎年お正月休みを取るたびに思うのであるが、やっぱりお休みって良いですね。何が良いのかって、何をしている時でも仕事の事、お店の事を完全に頭の中から追い出した状態でリラックス出来るのが良い。
お正月休みに何をしていたかというと、えぇ〜とまずは新宿将棋センターに行き・・・と、その前にまず大晦日に格闘技の試合をニコニコ生放送で2000円払って観つつフェアリーの営業をし、お店が終わると同僚の清吉さんと一緒に歌舞伎町の寿司屋に行き、刺身や寿司をつまみながら日本酒と焼酎を好きなだけ飲み、それから事務所に戻って好きなだけ寝ていた。

元旦の昼過ぎに起きると、犬の散歩に行って新宿の街をぶらぶら歩きながら街の様子を眺めてから散歩から帰り、その足で新宿将棋センターに行って将棋を指した。
1局目は四段の人に負けてしまったが、その後は三段、四段の人たちを相手に怒涛の5連勝!頭が疲れたので将棋センターから帰り、サウナ・フィンランドの上のゲーセンに行きゲームで遊んだ。
その後ゲーセンの横の漫画喫茶に入って、読みたかった漫画を時間を気にせずに読みまくった。
もうすっかり頭と目が疲れてしまい、そのまま帰宅してから酒も飲まずにその日は寝てしまった。
2日目も元旦とほぼ同じ過ごし方・・・・・ただ2日目はまた浴びるほど酒を飲んだ。 二日酔いになっても仕事の心配などせずに飲めるわけだから最高である。
田舎の実家から「正月なんだから帰ってこい」との電話が入るんじゃなかろうかとヒヤヒヤしていたのであるが、結局実家からは電話が掛かってこなかった。
おそらく弟に子供が3人もいるので、自分の両親からしたら可愛い孫が3人もいるから電話をしてこなかったのだろう。弟のおかげで今年の正月は本当にのんびりできて最高だった。
2日目の夜にはもうフェアリーの仕事をしたくなっていたのだから、これも一種の仕事中毒なのであろう。

お店の営業開始の4日の前日の3日には、新宿の紀伊国屋書店に行き、NHKのラジオ講座「毎日ロシア語」のテキストと料理関係の雑誌を1冊 あと作家開高健の「輝ける闇」を買ってベッドに潜り込みながら読んだ。
開高健の作品は中学生の頃から愛読しているにも関わらず、この“輝ける闇”と“夏の闇”だけは今まで読んでいなかったのである。
読書後の印象だけれど、この作者特有の言い回しや表現が他の作品よりもさらに満載の作品だった。まさに開高節満載の表現がひじょうに多い(開高健をよく読んでいる方なら頷いていただけるでしょう)。
1頁当たりの形容詞・表現が緻密かつ濃密である。作者が従軍している米軍の中尉に頼んで、作戦時に再度最前線へ出かけていった際のシーンが終盤のクライマックス。日常のシーンから戦争の最前線へとシーンが変化する過程が読んでいて実に面白い。そして後半はまるで戦争映画を見ているかの様にハラハラしながら読み進むことになる。
噂通りの凄い小説だった。ベッドシーンも食事のシーンもジャングルの中での戦闘シーン(と、言ってもジャングルの中で姿も見せずに銃を撃ちまくってくるベトコンの銃弾から逃げ回っているだけ。それでも味方がどんどん死んでいくシーン)も臨場感が凄まじく、久々に凄い作品を読んだな・・・という感想だった。

この読書後の感動は最近読んだ作品の中では、質こそ違えどフリーマントルの“消されかけた男”を初めて読んだ時以来の衝撃だった。
おそらくこの作品はこれまでの開高健の作品以上に、この後何ども読み返す事だろう。

ところで後書きを書いた人の解説に、三島由紀夫がこの輝ける闇を読んで、「空想で書いたなら凄いが、実際に自分で体験した事を書いているのだから大したことは無い」みたいな事を言っていた・・・とある。
本当なのかどうなのかは知らないけれど(多分、後書きを書いた人自身が三島から聞いているのだから本当なのだろう)自分はその文を読んで、いかにも三島らしいな・・・と思った。

幼少時に“青びょうたん”などとからかわれて、その反動のコンプレックスでボディビルやボクシングに走った三島らしい、いかにもな発言だなと思った。
自身には戦争体験が無く、そのせいなのか自分で結成した政治団体で軍服みたいな制服を着て、自衛隊に体験入隊したりしていた三島由紀夫らしい発言だと思った。そんな発言しなけりゃ良かったのに・・・とつくづく残念に思う。
おそらく、というか間違いなくこの作品を書いた作者(開高)に対する嫉妬であろう。
でもまぁ開高健自身が「嫉妬は表現者にとって、健全な精神」とかなんとか言っていたはずだから良いのか。


小説を読み終わると今度はツタヤで映画を2本借りてきた。が、こちらはまだ観れていない。時間のあるときにでもゆっくり楽しもうと思っている。

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