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当店フェアリーには若干二十歳(ハタチ)の若いスタッフがいる。その名はエンゾ君といい、主にフェアリーでは受付とwebの更新作業・メルマガの配信などを担当している。
ちなみに最年長の清吉さんは早番から毎日通しで店の清掃業務なども行なっており、彼は一番長い時間働いていると言っても良い。

そのエンゾ君だが、これはもうゆとり教育の犠牲者といって良いのか(笑)元から天然なのか?!そこらへんの事情は分からないが、本人にはその気がなくても彼の口から時に発するその言葉は、自分と清吉さんを爆笑の渦に巻き込んでしまうことがしばしある。
彼は若いので渋谷や六本木のクラブでよく遊ぶらしいのだが、当然そういった場所には日本にいる外国人達もたくさん遊びに来ている。

そんな時、日本人は誰でも思うらしい。「あぁ、英語が話せたらもっと彼らともコミュニケーションが取れて楽しいのだけれど」と。
自分からしたら「そんなに強く“話したい”と思うのなら、懸命に勉強してモノにすれば良いのに。本当に必要だと分かっていながらやらないとは解せないな。」といつも思う。どうやら皆、その場限りそう思うだけで、本気で習得しようとしていないからだろう。
自分の場合は、英語にあまり興味がなかった(別に英語で話そうと思わなかった。日本なのだから相手が日本語で話せば良い、と考えていたから)ので今まで特に英会話の勉強をしようと思ったことはただの一度も無い。クラブのセキュリティのバイトの時は、自分の話すゆっくりとした英会話で充分通じたから。

週末のHUBなどに行くと、英語が堪能な日本人もたくさん飲みに来ている。しかし他の外国語は新宿のHUBでは全く見かけないのが寂しいところだ。
自分はHUBのカウンターでウォッカをショットグラスであおっている白人などを見かけると、側に寄って、聞き耳を立てるのだが毎回ガッカリする。話している言語は毎回、英語なのだ。

そのうちの若手のエンゾ君だが、外国人の綺麗なおねーちゃんが彼は大好きだ。
それに反して自分は昔外国人専門の風俗店でも働いたことがあるのだけれど、その時以来、外国人の顔が苦手だ。例えそれが、どんなに綺麗な人の顔でもである。
それは何故かというと、外国人の女性は本当に近くで見ると、顔の凹凸が激しすぎる。眼窩は日本人よりも窪んでいるし、鼻もとても高い。
つまり外国人から見ると、日本人の顔を“のっぺりしている”という意見が多いが、こちらから言わせれば向こうの顔は“デコボコが激しすぎだろ”ということになる。
そんなわけでどんな綺麗な顔をしている外国人の女性よりも、日本人の普通に可愛い女性の顔の方が好きなのである。

しかしエンゾ君は本気で外国人の美女が好きなようである。そういった話を彼からも聞いているので、自分もよく彼に「綺麗な外国人女性と本気でお付き合いしたいOR友達になりたいなら、言葉は向こうに合わせなきゃ。どうせ外国語を習うんだったら、自分のロシア語みたいにいざ覚えてみたら会話する相手がいなかった・・・なんて事にならないように、とにかく英語をしっかり話せるようになった方が楽しいよ。週末のHUB行ってみても英語だらけだから。たまにスペイン語とかトルコ語とかいるけど、そんなのはごく少数派だろ?!」と話す。

そう話すと彼も一時的にその気になるようである。最近エンゾ君は仕事の合間に時々英会話などのウェブサイトを覗いて、独自に勉強しているようだが、どうやらもう半ばあきらめ気味のようである。
自分が確認したところ、おそらく中学生の頃からまったく英語の文法などの基本をサボっていたようで、驚くほど基本的な事が出来ていない。
文法とは語学の学習がより覚えやすくするために必要な事であって、「オギャー!」と生まれた赤ちゃんは頭が柔らかいから、文法など関係なしに耳学問で皆、言語を習得してしまう。
どの国でも人が生まれてから言語を覚える・習得する過程は常に同じだ。つまり頭が柔らかいうちに耳で覚えて、記憶して、文法も言い回しも自然と覚えていく。

しかし、生まれた地域の言語を一通り習得してから、年齢的には10歳以上から、改めて第二外国語を日常会話に支障ないレベルまで習得しようと思ったら、今度は計画的に勉強するほうが効率が良いという事実は否めない。
中学生で初めて英語の授業を受け始めた時に習ったアレである。主語・述語・目的語・補語などに文章を分解して覚える手法である。

しかし、ここに一つ見過ごせない落とし穴があるのを、日本の英語教育に携わる人達は少しは理解した方が良いと思う。
文法を理路整然と理解しやすくする為に作った、目的語とか補語といった日本語の文法用語だが、英語の授業で実はそういった言葉の意味を説明して、理解してもらわなければいけないからだ。これが実は結構面倒くさくて、自分も中学生・高校生の頃は嫌だった。

考えてもみてほしい、日本語を学ぶ過程でいちいちそんな目的語とか補語なんて言葉が必要だっただろうか?そんな事をしなくても普通にいつの間にか日本語は話せるようになっていたはずである。
それが英語の授業になると、何故そんな今まで使ったことがないような言葉で説明されなければいけないのか?
これはハッキリ言って回り道であるし、大体教科書や参考書に載っている目的語と補語の説明を読んでも、例えば今の自分は理解できるが、「誰しもが、この説明で納得できるのか?」と問われたら自分は自信がない。これは頭の良さとかには全く関係ない事なのだ。
多分、理解できない人もいると思う。何故なら「教科書ではこう説目しているけれど、自分はこう考えてしまう」と言われたら、それまでだから。
現にうちのエンゾ君に目的語とか補語の説明をしたのだが、ちっとも理解出来ない様だった。

第一エンゾ君は日本語での動詞も名詞も形容詞も区別がつかない。というよりは、今までそんな事を考えてこなかったから仕方がない。日本語は普通に彼にとっては日本語であり、普通に読み書きと会話が出来て、人とのコミュニケーションを取ることが出来た。
「名詞や形容詞という言葉を知らないなんて、そんなバカな?!」と思う方もいるかもしれないが、国語の授業で、本来学校で習うべき時に日本語の文法の基礎を学びそびれてしまえば、それまでなのだから仕方がない。
ただ、知らなくても“形容詞とはこういう物”“名詞とはこういう言葉のカテゴリー(ジャンル)だ”と説明すれば理解する事は当然出来る。

さらに外国語を習得するうえでネックになっている問題がもう一つ。これはロシア語やフランス語などが所謂“難しい言語”で英語が世界で一番“簡単な言語”と言われる原因なのだろうけど、ロシア語やフランス語、また今回自分が新たに勉強を始めたイタリア語には名詞に『性』がある。英語にはそれがない。性とは男性名詞とか中性名詞・女性名詞などと言われるアレである。
こういった所謂文法用語が第二外国語の習得を不必要に難しくしてしまう原因なのだと思う。
しかし、自分はロシア語の習得をする段階で、ハッキリ言うがこの名詞の性や各変化はあえて『全部無視した』
そして無視したおかげで当初はよくロシア人に「お前の話す言葉は時々変だよ.笑」と時々言われたが、なんだかんだでそのうち名詞の性も格変化も覚えてしまった(まだ怪しいことには怪しいけれど)

だから今回もイタリア語の名詞の性などは、全部無視して覚えるつもり。つまりほぼ丸暗記が自分の勉強法なのである。
ロシア語も勉強し出した頃、ある一つの単語を「よし、これで完璧に覚えた!」と思って、3,4日してからノートを見たら、その意味が全く思い出せない。「やっぱり30歳過ぎてから第二外国語なんて無理なんだ。もう勉強止めた!!」と4年間のうちに幾度そう思ったか数え切れない。でもしばらくしてからまた教科書やノートを見る事だけは止めなかった。要するにあきらめなかったわけである。
人間あきらめないでやり続けていれば、いつかは必ず出来るようになるのである。

だからすでに英会話の学習をほぼあきらめかけているエンゾ君には言いたい「一度本当に習いたいと思ったなら、習得するまで途中でぶん投げるな」と(苦笑)
しかも勉強する気になったキッカケが外国人の美人のオネーちゃんなら、モチベーションも若者にとっては強いはずだ(笑)

自分の外国語学習を始める過程はいつもこんな感じ。まず最初に本当に基礎的な教科書を1,2冊買ってくる。
そしてそれ以降は“ひたすらNHKのテキスト”をやり続ける。これだけである。
自分は今でも忘れない。始めてNHKのテキストで覚えた例文をである。ロシア語の文字も満足に読めない、書けない。日常の挨拶や「ありがとう」も言えないうちに、いきなり覚えた例文は「あなたはどこから来ましたか?」というロシア語である。

今回イタリア語を始めて、まだ日常の挨拶を覚えただけ。まだ数も数えられないし、簡単な質問のイタリア語すら一つも覚えていない。しかし今日ようやくNHKのテキストを1冊買ってきた。自分もこれから本格的にイタリア語の勉強である。
早く話せるようになって都内のイタリアンなどに行ったら、客のイタリア人に話しかけてみたいものである。





新潮文庫のブライアン・フリーマントルのチャーリー・マフィンシリーズ。どこの本屋に行ってもこのシリーズが売り切れで、書店から取り寄せるのも面倒くさかったので、読みたいまま読めずにいたら、アマゾンの中古で安く買うことが出来た。
読んだ感想は、前回ほどの面白さはやや薄れた感じがした。
特にあまり良い印象を持たなかったのは、第2作目の「再び消されかけた男」では、前回から引き続き登場し続けている重要なキャラクターの何人かが死んでしまう事だった。
特にチャーリーの奥さんのイーディスが悲惨な死に方をしてしまうのは、読んでいてちょっとつらかった。
あそこでイーディスが死ななければ、その後のストーリーが盛り上がらなかったのだろうか?!決してそんな事は無いと思うのだけれど。。。。。
しかし、そこはやはり小説、その作品自体にとって著者は創造主、所謂“神”なのだから、読者がいろいろ思ってみても仕方ない。そのまま受け入れるしかないのだから。
たしか前作にも登場したモスクワ在住のCIA職員のブレイりーは2にも登場したけど、チャーリーの仕掛けた爆弾で偶然死んでしまったが、その後もブレイリーはこのシリーズに登場したら面白いキャラクターになったと思うのだけれど・・・
それにベレンコフやカレーニンも全くと言ってよい程、チャーリーには直接絡んでこずに、何の為に今回所々ちょっとだけ登場させているのか、あまり意味が無いと思った。
今回ベレンコフとカレーニンは英米の諜報組織に対する、ロシア側の心情の代弁者というだけの役割のようだった。

そんなわけで第1作が120点の面白さなら、この第2作は80点くらいの面白さだと個人的には思う。
ただチャーリーのキャラクターが自分は好きだし、まだまだたくさんあるシリーズの作品の中にはきっと面白いものもあるだろうから、今後もこのシリーズを読んでいきたい。

最近ツタヤで借りてきて観た映画はゴッドファーザーの2。今まですでに何度も観ているけれど、今回自分が注目して観ていた部分は、part1でクレメンザの部下だったロッコ・ランポーネとアル・ネッリ。この二人に注目して観直してみると、また面白かった。
今まで気付かなかったちょっとしたシーンでの彼らの演技がまた実に興味深くて面白い。

ただゴッドファーザー2で残念な点というのは、これは1と2と観比べて、さらに2でのマイケルの苦悩・懊悩を見れば明らかな事だが、マーロン・ブランド(若者の時はロバート・デニーロ)演じるゴッドファーザー“ヴィト・コルレオーネ”程のリーダーシップと包容力、器の大きさがアル・パチーノ演じる2代目ゴッドーファーザー“マイケル・コルレオーネ”には無かった・・・という点である。
ヴィト・コルレオーネがゴッドファーザーなら、マイケルの実の兄のフレドが許し難い裏切りをした所でおそらく許しただろうし(少なくともどう考えても、殺しはしなかっただろう)第一組織の“ファミリー”ではなく、本当の家族の間から、あのような形で裏切りは決して出さなかっただろうと思う。

ロバート・デ・ニーロが演じている若者の頃のヴィト・コルレオーネの貫禄は、若くしてドンになった後のマイケル・コルレオーネよりもはるかにあるし(この点がpart2でデニーロが主演のアル・パチーノの演技を食ってしまったと言われる所以だろう)マイケルよりもはるかに男女問わず、人に好かれそうな雰囲気があるし(笑)
だいたいゴッド・ファーザーになった後のマイケルは、敵対する存在に対しては身内が引いてしまうくらい容赦がないし、徹底している。直近の部下からも「そこまでしなくても・・・」と言われてしまうくらい。

ストレスと苦悩からか疑心暗鬼になってしまい、裏切り行為をした兄のフレドに対しては、本人が謝っても許さず、妹のコニーが仲介してさえ許さずに殺してしまうし、自宅にいる時に襲撃された際にロッコが裏切ったのでは??という不確かな容疑だけで、ほとんど自殺行為としか思えない様な、空港でのハイマン・ロスの暗殺を命じてしまう(結果、当然の様にロスを射殺した後のロッコもFBIに射殺されてしまう。ロッコはファミリーの幹部なのにである)

それにペンタンジェリを自殺に追い込む様に説得させる為にトムを自宅に呼び出す際にも、実の兄弟同然として育ったトムに対してさえ、「ファミリーから距離を置こうとしているのではないか?」と疑いの目を向ける。
もうこの辺のドン“マイケル・コルレオーネ”の精神状態は滅茶苦茶な状態なのが分かる。
そういえばその前のシーンでも、母親に「父さんはどうだった?家族に対してとか、もっと強かったよね?」と苦悩を打ち明けるシーンがある。このシーンのアル・パチーノの演技は素晴らしいと思った。

監督のコッポラはおそらく父親であるヴィト・コルレオーネと後に2代目のドンとなるマイケル・コルレオーネの人となりを対比させて描きたかったのだろう。だからマイケルが苦悩するのも、疑心暗鬼になって人の命が失われることが度重なってしまうのも、最後の最後でのあのシーンを観れば、全てはコッポラの意図通り・・・だということが明白だ。

自分が今回、ロッコとネリに注目していたのは、果たして自宅を襲撃された際に、マイケルの身内であるロッコが手引きしたようなシーンやロッコの演技、またはそう思わせるシーンが新たに発見出来るか?だったのだけれど、冷静に観直してもどうもロッコは手引きしていないように思える。
マイケルが自宅のボートハウスでコニーの仲介で兄のフレドと仲直りしたように“見せかけて”抱擁するシーンで、背中越しに右腕のアル・ネッリに目配せするシーン。
ここでネリが「やっぱり殺すのか?」とかすかに驚き、仕方なくドンの命令に頷くシーンはとても良かった。

そしてやっぱりこの映画の白眉はネリとフレドがボートで湖上に釣りに出かけたシーン。フレドがマリア様にお祈りの言葉を呟く中、後ろからネリがフレドを銃殺する。カメラはボートハウスでソファに腰掛けるマイケルを遠目に移し、銃声が鳴り響くと同時に思わずマイケルが立ち上がる。
その銃声は実の兄のフレドを自身が殺してしまった事を証明する銃声。

そこからマイケルが大学生時代、実家に帰省したシーンに移る。入隊した事を罵るソニーと心配するトム。しかしその中でただ一人「お前は偉いよ」とマイケルを褒めるフレド。
その回想シーンが終わると、たそがれの中、湖畔のベンチに呆然と座るマイケルが映されエンドロールに入る。

何度観てもゴッドファーザーpart1&2は面白く感動する映画だと思う。まだゴッドファーザーpart3は、今だかつて一度も観ていないので是非借りてきて観てみようと思った。

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