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今からおそらく6,7年前の事だけど、当時自分の商売上の事で広告のお付き合いのあったナイタイマガジン社が、新宿にある老舗の将棋道場“新宿将棋センター”の経営権を握っていた事があった。

近代将棋という将棋雑誌も発行していた株式会社ナイタイが元のオーナーから新宿将棋センターを買い取ったのである。

当時、インターネット将棋が大流行して、都内近郊の将棋道場が軒並み潰れていた中、この都心にある将棋道場だけは常に沢山のお客さんが来ていた。

都内や近郊の将棋道場がどんどん閉鎖されていった原因だが、インターネット将棋なら、将棋道場に行かなくてもウェブ上の将棋道場で自宅や職場の休憩時間中に気軽に将棋が指せるから、皆わざわざ道場に行かなくなってしまった事が原因だった。

お客が来なければ当然、経営は成り立たない。将棋道場は席料で成り立っているわけだから、客入りが激減すれば家賃すら払えなくて潰れて行った事だろう。

将棋道場を経営していた人達にとっては、これは痛手だったであろう事は想像に難くない。
自分の生活の糧を稼ぐはずの将棋に、裏切られたようなものだから。

自分は高校生の頃、将棋部だった。高校時代には、溝の口に当時あった将棋道場で、学校サボって手合い係のアルバイトなどしていたのである。
神奈川県の高校生将棋大会では湘南高校、慶応大学付属日吉高校を団体戦で破って優勝した事もある。

社会人になってからもたまに将棋道場に指しに行ったり、勿論インターネット上の将棋道場も時々利用していた。
でもネット上で将棋指すより、やはり道場に出かけて行って将棋盤と駒使って、自分の指で指した方が楽しい。
目の前に相手がいるわけだし。

ある日、仕事中に、ナイタイマガジン社の営業マンから電話がかかって来た。
その営業マンは自分が将棋が好きだという事を知っていたのであるが、その時は何の前触れも無く、なぜいきなり呼び出されたのか分からなかった。

当時のナイタイの社主円山さんとは、ゴールデン街の“一歩”という飲み屋で将棋を指した事もあったし、ナイタイが当時やっていた将棋雑誌“近代将棋”の編集部でプロ棋士と対局させてもらった事もあったので、多分また誰かと将棋を指すことになるのだろう・・・と思いながら新宿将棋センターに出かけていった。

道場に行ってみると、プロ棋士の櫛田プロや武者野プロ、円山社主らがおり、その取り巻きの人達が他にも3,4名ほどいた。

自分を呼び出したナイタイの担当営業マンもその場におり、久々にお会いした円山社主とご挨拶をした。

「さて自分は誰と将棋を指すのかな?円山さんかな・・・」などと考えていたが、円山さんはその時、既に武者野プロと対局中だった。

すると自分を呼び出した営業マンが「修治さんは鬼六先生と将棋を指されたことがありますか?」と聞いてきた。

「鬼六先生ってあのSM小説の大家の団鬼六氏の事か・・・」なんて突然の質問にぼんやりと考えながら、ふとちょっと離れた対局席を見ると、小柄な老人が座ったいた。

その時まで全く気付かなかったのだが、その席に座っていたのはSM小説の大家である作家の団鬼六氏であった。
ひっそりとしていて存在感がなく、その時までまったく自分は団鬼六氏がその場にいることに気づかなった。

ただ当時、団鬼六氏が病床にあり、かなり病気の症状が重いということは近代将棋に連載されていた氏のエッセーを読んで知っていた。

何はともあれ、ご挨拶をして対局が始まった。鬼六氏は目の前で見ると本当に小柄な老人で、病気のせいなのか椅子に座って対局している間ずっと、小刻みに身体がブルブルと微かに震えていた。

自分に対してもにっこり笑って挨拶をしてくれたのだが、口がモゴモゴと動いたのが分かっただけで、鬼六氏の口からどんな言葉が発せられたのか、ハッキリと聞き取るが事が出来なかった。

たしか自分と対局した数か月前に脳梗塞の発作を起こして倒れ、入院していたのを記事で読んだ事があったので、おそらくその後遺症だったのだと思う。
そんな状態でも焼酎のお湯割りを飲みながら将棋を指しているのだった。

自分はそんな様子を見て「病状が思わしくないって書いてあったけれど本当だな。大丈夫なのかな?!」と心配になってくる程だった。
将棋の駒を持って指してくる指もかすかに震えており、将棋の方も序盤は迫力がなく、圧倒的に自分が優勢になった。

将棋の方の腕前はアマチュア四段クラスであり、その中でもかなり強い方・・・という噂だったし、噂のみならず鬼六氏の棋譜を見たこともあるけれど、実際にかなり強く感じていたので、あっという間に自分が優勢になったので拍子抜けしてしまい、「こんな病状の重い状態の有名人をこてんぱんに負かしてしまっても良いのかな?」なんて変な思いに駆られた。

しかし・・・・・将棋の中盤から7:3くらいで自分が優勢だったのを、こちらが迷うような怪しい手を指され徐々に局面がこじれてきてしまった。
7:3で優勢だったのが6:4くらいに追い上げられ、その後も自分が勝ちを焦って決めに出たら、それが決め手になっておらず、逆転で負けてしまった。

鬼六氏がやや優勢になりかけてからの指し手は正確そのもので、逆にこちらが相手を迷わせようとして怪しい手を指したのだけれど、懸命に考えて迷いながらもきっちりと正解手順を選んできて、結果自分は敗れてしまった。

ナイタイの円山社主や櫛田・武者野プロは当然、鬼六氏の応援だから、こちらが間違えて鬼六氏が優勢になったあたりから、嬉しそうにしていた。

「負けました」と投了を告げたときの鬼六氏の笑顔は今でも忘れられない。

ニッコリと心の底から嬉しそうな笑顔で、口の中でモゴモゴと何か自分に対して言ったようだが、その声すらもよく聞き取ることが出来なかった。

おそらく指していて自分の棋力も鬼六氏は分かった事だろうし、途中こちらが悪くなりかけてからは本気の手加減抜きで勝ちに行ったのが分かったのだろう。

鬼六氏が勝利した時、周りはやんやの歓声だった。結果的に自分は良い当て馬にされてしまったわけである。

自分は途中で「本当にこのまま一気に負かしてしまって良いのだろうか?」などと、気が抜けかけた瞬間はあったものの、その時以外は本気で指しており、あんなに病状が悪そうな状態で不利な将棋をひっくり返す実力は、アマチュア四段とは言っても五段に近い棋力はあるな・・・と脱帽した。

途中こちらが悪くなってからは、再逆転させようとして気力をふりしぼって指していたのにもかかわらず、そのまま負けてしまったので、本当に心身ともに疲労してしまった。

その後櫛田プロが対局してくれるというのを丁重に辞退して道場を後にしたのだった。
プロ棋士に無料で対局してもらえるなどというのは、本当に光栄な事なのであるが、あまりにも頭が疲れていてもう1局将棋を指す気になれなかったのである。

最近はすっかりネット将棋も実際に人と対局する事もなくなってしまったが、今度休日の前の日にでもゴールデン街の将棋酒場にでも出かけてみようかと思っている。


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